2009年05月25日

日本最北端へ(旅行後)

■稚内・利尻・礼文・弟子屈への旅行後


■浅茅野の飛行場前とは?

浅茅野(←あさぢのと呼ぶらしい、、、)にあった飛行場前というバス停が気になり、帰った後、その歴史を調べてみました。

旧陸軍飛行場だった浅茅野

まず、結論から。今回訪れた浅茅野には戦時中に旧陸軍基地(滑走路)があり、バス停名はそれがもとになっているのだそうだ。バス停があった付近には、20年前まで走っていたJR天北線の臨時停車場「飛行場前」があり、当時から「付近に飛行場はないのになんでや」という話になっていたという。
一連の話はウィキ(→リンク)などに詳しいが、ここは戦時中の昭和19年に突貫工事でつくられた飛行場で、建設には強制連行された人々も多数動員されたらしい。数年前には日中韓共同で犠牲者遺骨発掘作業が行われている。旧軍基地につきものの掩体壕も多数残存しているという(→写真は「自己満足 北海道」に詳しい)。肝心の滑走路はちょうどバス停付近の南西側に国道に直行するような形であったようで、たしか現在は草地だった記憶がある。国土地理院提供の国土変遷アーカイブス(→リンク)を見ると、滑走路が破壊状態になっているもののよく分かる写真があり、ちょうど浜頓別町との境目付近に位置していたようだ。
さらに調べてみると、飛行場前バス停がある付近は第一滑走路で、浅茅野を通過する前に寄った最北の道の駅「さるふつ公園」付近に第二滑走路があったというから、事前によく調べて見ておくべきだった。こちらは国土地理院の国土変遷アーカイブスにはっきりとわかる滑走路の写った写真が載っている。これを見る限りでは、第二滑走路も国道に直交するような形で東西方向に滑走路が延びており、ちょうどその東端が道の駅だった。
最新の航空写真(2005年?)のものを見ると、第一滑走路はほぼ跡形もなく消えた感じに見えるが、第二滑走路は滑走路跡のような区画がまだ見られるからアクセスして見てみるのも面白い。(下に張り付けた地図を航空写真に切り替えてもわかります)

浅茅野飛行場第一滑走路付近の地図
ポイント付近周辺を中心に国道に直交する滑走路が存在していた模様。橙色が国道で、その下に平行して伸びる線が旧天北線(現在サイクリングロード)。飛行場前駅は天北線と白い道路が交わる付近にある。第二沼付近に掩体壕が多数残存。



浅茅野飛行場第二滑走路付近の地図
ポイント付近周辺を中心に国道付近までの間に滑走路が存在していた模様。橙色が国道で、村営猿払牧場はほぼ全域が飛行場区域だったようだ。航空写真に切り替えるとわかりやすいが、ちょうどポインタの左側細長い区画部分が滑走路跡。




旧軍飛行場の有効活用、、、

さて、北海道は戦時中、軍飛行場が多数造られていたようで、今回訪れた中では女満別が特に有名だ。ただ、いまだに飛行場として使われているところをのぞけば、現在は多くが姿を消して草っぱらになっている。浅茅野の飛行場はそのひとつである。残念なのは、数多くの廃止飛行場があるにもかかわらず資料館のようなものがあまりないことである。廃止後に多くの記念館が建った鉄道とは対照的で、そもそも現地に行くまでその存在をよく知らなかったし、歴史を調べるのがひと苦労だった。これは戦後の混乱期に廃止されたことや民間利用がなくて馴染みが薄いことなどが影響しているのだろう。
そういえば現在ある日本の空港はその多くが旧軍飛行場を経験している。沖縄や奄美は旧軍飛行場の有無が空港開設に大きく影響したし、そもそも旧軍飛行場がなければ存在しなかった可能性が高い空港は多いだろう。だが、面白いことに、空港沿革ではその事実があまり顔を出さない。特に国交省では空港を明確に定義付けしていてそれにかからない飛行場時代の歴史を沿革から外している。つまり公式サイトをみても公共用空港指定から歴史が始まる空港が多いのだ。おかげで空の駅情報館でも歴史に関する文章を書くのが実は一番しんどかったりする。
戦時中に建設された新飛行場は北海道に限らず日本全国数知れない。数えたわけではないが、滑走路数は現在の公共用空港より旧軍飛行場跡の方が多いのではないかと思えるぐらいだ。戦争は技術革新に大きく影響するというけれど、日本の飛行場についてはまさに発展の礎になっており、それがピッタリ当てはまると言える。いま空港を造ろうとすると高額すぎて無駄だあ無駄だあ言われてしまうけれど、こういう旧軍飛行場をもっと活用していれば、新たに造る必要もなかったかもしれず、ちょっと残念だ。都心部にあった旧軍飛行場は、民間飛行場として改編後狭さや騒音問題のために閉鎖になる(大分や鹿児島等)か、自衛隊基地として継続使用されているケース(旭川や浜松等)が多い。逆に郊外にあったものは、浅茅野のように戦後即廃止となったケースが多いので、民間利用という点からするとあまり活用されておらず、かなりモッタイナイ話。戦中に建設された飛行場は、格安で建設させられ、しかも強制的労働によってできたところが多いことを考えると、廃止するなどもってのほかで、無理をして造成したのだから、もっと有効活用してほしかったものだ。



とにもかくにも不思議だった飛行場のない飛行場前。なんにもないように見えた北の果てにも飛行場があったことに驚くとともに、もうちょっと注目をあびてほしいと思った最北紀行でありました。








posted by johokotu at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆旅行記 | 更新情報をチェックする
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