2009年08月14日

夏の離島めぐり(7日目)

■2009.08.14 北大東→南大東→沖縄那覇


文化財に宿泊、、、!?


今回初の民宿宿泊。沖縄の民宿に多い他宿泊者との交流はまったくなく、夜はとても長かった。(←他宿泊者って言ってもほとんど土建屋さんだけど、、、)周囲に何もないので、夜になったらやることがない。ただただテレビを見て過ごしていたら、いつのまにか寝る時間になっていた。部屋は冷房完備であったものの、暑くて、夜に二回もペット飲料を買いに走ってしまうほどの夜で、なんとか長い一夜を過ごすことができた感じだった。

朝起きたのは7時頃。共同洗面所で洗面等を済ませたあと、西港周辺を散策しようと外に出た。が、少し歩こうとは思ったものの、今日も快晴で日ざしが強く、朝っぱらからひどく暑かった。
この港には燐鉱石貯蔵庫が廃墟のまま残っている。この島に来たら絶対寄りたいポイントで、じっくり見学して回った。

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燐鉱石貯蔵庫跡。閉山は昭和25年なので、実に60年も前のまさに”遺跡”だ。


西港公園を軽く散策した後、金刀比羅宮に参ろうと思ったのだが、昨日の天狗岩同様でっかい蜘蛛が行く手をとうせんぼしていて、登ることはできなかった。
仕方がないので、すぐわきの車道沿いにある階段を登ったらいけるかと登ったら、宮には行けなかったものの、代わりに玉置半右衛門の碑を見ることができた。

→玉置半右衛門氏は、明治36年、北大東島に初めて渡った開拓者だ。もともとは八丈島の実業家。このせいで、今でも北大東島は八丈島の文化がミックスされているという。島に来る前、八丈島から太平洋の荒波を超えて冒険してきたのだと思っていたのだが、島のパンフや案内板によれば、八丈島から一度鹿児島や沖縄に寄る大回りをしてたどり着いたのだそうだ。しかも、冒険してたどり着いたのではなく、政府に開拓許可を申請した何人ものうち許可され、はじめから事業立ち上げをたくらんでこの島へ乗り込んだ人物なのだそうだ。同氏が建てた玉置商会はこの島で独占事業を営んでいたものの事業の失敗などもあり、大正になって島の経営権は東洋製糖(のちの大日本製糖)に移ってしまったのだとか。


それにしても暑くてたまらない。
西港付近で見るべきものはだいたい見たし、ひとまず早々に宿に引き返してしまった。宿に引き返してきたら、入ろうとした先に、写真で見たことがある建物がある。

あれ???

昨日は暗くなってから宿に着いたから気がつかなかったのだが、よく見ると自分が入ろうとした建物の入口には「新館」という張り紙がある。

なんと、国の指定文化財に宿泊していたつもりが、自分が泊まったのは古くからある建物ではなかったようだ。どおりで沖縄的な部分も八丈島的部分もない、合宿所のような部屋だったのだ。せっかく文化財に泊まれると思っていたのになんとも残念な話だ。
あとで、ネットで調べてみたら、古くからある本館には談話室のようなスペースもあったようだ。

部屋で一服してから少し離れた食堂に朝飯を食べに出た。
食事内容はいたって普通。この宿、飯が名物のひとつという触れ込みだったのだが、昨晩も今朝も大して特徴的ではなかった。そして面白いことにこのあと用意してくれた昼飯の弁当が一番豪華というおまけ付きだった。

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宿泊した二六荘の宿泊エリア。奥に見えるのが古くからある本館。自分が泊まったのは手前の新館で、指定文化財に泊まったつもりがどうもその建物を楽しめなかったらしい。


青い空、青い海、太平洋の島だった

9時にチェックアウトしたあと、15時の送迎までチャリを借り、島を回ることにした。

→二六荘は、部屋の掃除などの関係上、チェックアウト期限が10時。しかし、飛行機は夕方16時過ぎまでないので、それまで大荷物は預かってくれるし、食堂で休息をとっていいことになっていた。やることがなければ、食堂でまったりするのもよいかもしれない。


チャリを借りてまずは南まわりに昨日夕方歩いた道を逆走し、空港へ向かうことにした。
北大東島の南海岸には、西から、西港、上陸港、江崎港と3つの港がある。港以外は、ほぼすべてが珊瑚で出来た海岸の崖がずっと続いていた。
そして、海は非常に濃いブルー。この海の色はまさに太平洋!といった感じの色だ。観光客は沖縄=エメラルドの海というイメージが強いだろうからあまり曳かれないのだろうが、この色も非常にきれい。強い日ざしや白い珊瑚の崖ととてもマッチしていた。


昨日は後半真っ暗だったから分からなかったが、空港近くまで2車線のきれいで広い道路が整備されていて、チャリで走りやすい。
ちょっと残念だったのは島内至る所で土木工事が行なわれていたことで、新しい漁港整備をはじめ、各港の改修、サトウキビ畑の造成などあっちもこっちも工事中。すれ違う車はほぼすべて土建屋さんの社名が入った車だった

西港を出て10分もしないうちに上陸港跡に到着。ここはこの島に初めて上陸した場所で、崖の下に港のようにくぼんだ場所がある。崖の上は上陸公園として整備されていて、上陸100周年記念碑などが建てられていた。

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上陸港跡地。急な崖の下に降りると、それでも波の高いくぼんだ場所がある。これが港。昔の人はここを素手で登っているのだから、何とも頼もしい。


江崎港までは海の向こうに南大東島を眺めながらのサイクリング。同じく上陸港跡から10分ほどで到着した。この港は観光地でも何でもなく、単なる港。ただ、高い高い岩壁があり、島名物の船からの檻上陸が見られる場所の一つだ。ここにも港跡があり、最近護岸工事が行われたようだった。

→北大東島には西港、北港、そして江崎港と現役の港が3か所ある(現在、北大東漁港を造成中)。西港が街の中にあるのに対し、この2港はまさに港しかないといった感じだ。風向きなどによりフェリーの着岸が変えている。

空港周辺までは、江崎港からやはり10分ほど。西港から見たらゆっくり走っても30分ほどで、こんなんだったら、昨日は正直に宿の送迎に頼るべきだったのかも知れなかった。
昨日歩いては行ったのだが、よく見ていなかった沖縄最東端之碑に再度寄ったらその下には沖縄海と呼ばれる島内唯一の海水浴場、人工海水プールがあった。

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沖縄海は北大東島唯一の海水浴場で、天然プール。写真白波が立っているあたりから手前側がプールとして使用されている。沖縄の人はあまり泳がないからカナヅチが多いとはよく聞くけど、この島もなかなか泳ぐ機会はなさそうだ。


シーズンではなかった北大東の夏

さて、今は空港の南端から海岸沿いの狭い範囲を進んできた。ここから先、空港北側の真黒岬へ行く道はなく、これ以上進むことはできない(空港管理用の荒れた通路はある模様)。地図で見るかぎりではちょうど空港ターミナルの反対側あたりなのだが、高台にある滑走路すら見ることはできなかった。
仕方がないので来た道を少し戻って滑走路南端をまわり、空港ターミナルに寄ることにした。

この空港の旅客便は夕方の運航だがすでに窓口は開いており、ベルを鳴らすと係員が出てきて対応してくれた。
座席はすでに確保しているが、翼がかかる位置。出来れば翼がかからない窓側が良かったから変更できないか聞いたところ、南大東までは窓側が取れるが、南大東からは満席で通路側しか空きがないという。仕方がないからそれで発券してもらった。
やっぱりシーズンで満席が多いのか聞いてみたら、いまはシーズンではないと言う。よくよく聞いてみたら、北大東島は海岸がないから、そもそも夏に泳ぎに来る観光客がおらず全体的に渡島者は少なめなのだそうだ。あえてシーズンと言うとしたら秋から冬にかけてで、この時期は団体さんが多いと言う。飛行機自体が小さいので年間通じて混んでいると話してくれた。
それでも、ネットなどを見ると、滑走路延長前は欠航も多く予約が取りにくかったみたいだから、それに比べればまだましなのかもしれない。


空港ターミナルを出たあと、島北東端にあたる真黒岬へ行こうとしたものの、それらしき道がなく、チャリを走らせていたらいつの間にか北港に到着してしまった。
今更戻るのも面倒くさいので、真黒岬に行くのはあきらめ、北港から再び姿を現した海岸沿いの道を進んだ。この道路、道路脇は珊瑚の崖で日ざしを遮るものがないから、とにかく暑い。

ヒーヒー言いながら島北西端の黒部岬を回り込み、ヤットコサ宿に辿り着くと11時半。ちょうど弁当が出来た時間で、それを受け取ったら再び島巡りを再開した。


島中心部は緑豊か

さっきは島の外周をまわったから今度は内周だ。西港近くに立つ灯台の足元で弁当を頬張ったあと、ひと山越えたら島中心部に入り込んだ。
中心部に入る直前、民俗資料館があったので、さっそく寄ってみたのだが、館内は真っ暗で何もない感じ。人が誰もおらず、あきらめてすぐに出てきてしまった。

→北大東島は、島全体が火口のような形をしていて、中央に盆地、その外側に外輪山のような山がある。実際には火口ではなく、リング状のサンゴ礁が隆起してできたリーフとラグーンだ。山の部分は長幕と呼ばれ、貴重な植物が多く、簡単には立ち入れない。南大東島も似たような島なのだが、長幕があまり目立たないので、この島にいると不思議な感じがしてしまう。


盆地部分は村役場や交番、JAに学校もある島の中心部だ。
まずは村役場に寄って名所でも聞かねば、と寄ってみたのだが、ちょうど12時過ぎたところで、昼休みの真っ最中。窓口にはだれもおらず、仕方がないからトイレだけ借りて、再び外に出てしまった。

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北大東村役場。すぐ横に駐在所、診療所、小中学校などが集中している。このあたりでさえ、周囲に十数件の家があるぐらいで、島全体でもあまり家屋が多くない。

その後は、長幕に囲まれた盆地をひととおり反時計まわりに一周。
この中心部は水も豊富な感じだし、緑が多く、珊瑚だけの海岸沿いとはまた違った島の様子を体験できた。存在がいまいち分からなかった潮見橋や赤池、大東宮など見て、再び村役場近くまで来たら、村内最大の売店になるJAに寄った。

玄関前にベンチがあったからひとやすみ。ペット飲料を一気飲みして休んでいたら、沖縄に来てはじめて無関係な現地人に声をかけられた。
話をしたら、アクアラインや千葉県の工事に従事したことがあるそうで、少し話が弾んだ。

この時点で、島の名所はだいたい回ってしまった。あと回っていないのは、島北側にある北泉洞ぐらいだ。どうも離島に来ると洞窟に行きたくなってしまう。
シマダスの地図を頼りに洞へ向かったが、閉鎖されているせいでいったいどこにあるのか分からずじまいだった。

→北泉洞は、シマダスにも「立入禁止」と書かれている鍾乳洞。東京に戻って、北大東島に行ったことがある知り合いに尋ねたら、頭突っ込んで覗く程度のものだったそうな。実際行った時に、それらしきところは見つかったのだが、看板などは立っていないので、よくは分からなかった。

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長幕。ながはぐと読む。1キロ以上にわたって帯のように続く崖地帯で、一部は崩落の危険もあるようだ。


そのまま宿に戻ったら14時で、その後は食堂と西港を行ったり来たりしながら時間をつぶした。
15時過ぎに空港への送迎となり、食堂で休んでいた2人の土建屋さんと空港に向かった。空港に着くと、すでに人が集まっていて、売店もあいていた。売店は品揃えが良くなく、菓子は数種類。見栄えがする箱菓子を買ったものの、あとで見たら那覇で製造されたものだった。

飛行機はほぼ定刻で着陸。これなら少しは早く行けるかと思ったものの、荷物扱いに時間がかかったのか、セキュリティチェックも遅れ気味だった。ただ、約10分遅れて動きだしたにもかかわらず、北大東は南向き離陸、南大東は北から着陸の最短飛行だったので、南大東では若干の遅れで済んだ。
南大東は、昨日とは打って変わって手続きがスムーズで、比較的すんなり搭乗。あまり遅れることもなく、そのまま那覇に向かった。
飛行機は満席。最前列の向かい合わせ座席も使用する状況だった。

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満席で飛行したRACの飛行機。北大東と南大東の2空港を経由するのになぜかRACが所有する小さい方のボンバルディアDHC8-Q100が充当されている。


那覇には10分ほどの遅れで着陸。A&Wで軽い夕食を取ったあと、モノレールで美栄橋へ。徒歩で今夜の宿、ホテルラッソ那覇松山へ向かった。

今日は北大東で一日つぶれた格好。しかも強い日ざしの下でチャリでグルグル回りすぎたせいで激疲れで宿に着いたらあっという間に寝てしまった。





■今日の教訓!

 ・(北大東)燐鉱石貯蔵庫跡は見逃せない!
 ・(北大東)海は非常に濃いブルー!泳ぎよりも釣り!(←二六荘の食堂にはデカイ魚の写真がずらり)
 ・(北大東)夏は観光シーズンでなく観光客少な!(←台風さえ来なければ穴場かも)
 ・(北大東)いたるところで工事中!工事車両に注意!(←飛行機も宿も土建屋さんだらけ)






posted by johokotu at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆旅行記 | 更新情報をチェックする
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