気軽に行ける粟国島
離島訪問第一段の今回は、3日目の今日が最終日。悪天候で与那国や石垣で足止めされても対応できるようにと、この日はフリーにしていた。結局天気は持ち、予定どおり昨日の昼には沖縄本島に戻れたから、今日は本島周辺の島の飛行場に行くことにした。悩んだ挙げ句、行き先に選んだのは粟国だった。
本島周辺で日帰りできる島は、久米島や与論島などがあるがいずれもアクセスの運賃がやや高い。一方で沖縄本島に近くアクセス運賃が低めの伊江島や伊是名島、慶良間などは定期便が飛んでいない。現役かつお手軽な島として粟国を選んだのだ。もともと往路フェリー、復路飛行機で考えていたが、たまたまこの日はフェリー往復でも4時間島に滞在できるから、最終的に往復ともフェリーで行くことにした。
粟国へのフェリーはとまりんの窓口近くから出航だ。運航時刻変更の原因となった粟国小中学校の創立記念式典出席者が多いかと思っていたが、実は粟国到着は式典開会後(09:30開始、そもそもとまりん出港がこの時刻じゃん!)で、フェリーはまったく混んでおらず、10人ほどしか乗船していなかった。
とまりんでフェリーに乗り込もうとしたら、チャリに幟を付けた政治家が乗り込もうとしていて、どうもいつもより長い島上陸時間を使って遊説に出かけるつもりのようだった。
この航路は二等が椅子席だった。ごろ寝しようと思っていたからちょっとあてが外れてしまったが、空いていたので椅子は倒し放題。酔い止め効果もあり、ぐっすり眠ることができた。
粟国には約2時間で到着した。この島はまったく観光地化されておらず、古くからの沖縄風で素朴な島だった。八重山の小浜島や竹富島みたいに赤瓦の屋根が並んでいるわけではなく、悪い表現をすれば古臭い汚い家も多い。もちろん、自分はそれがイヤではなく、沖縄に来たなあと感じさせる自然な感じがしていた。
島上陸時間は4時間ほど。シマダスによれば島一周は16.8キロで、最外周に道はなく、歩いて回れる範囲はもっと狭い範囲だから、4時間もあれば充分歩いて島を一周できそうだ。
※粟国島は沖縄本島の北西方向、東シナ海に浮かぶ、周囲20キロにも満たない小さな島だ。平成11年に公開された「ナビィの恋」という映画の舞台となったらしく、ロケ地が名所として紹介されているものの、観光客はほとんど見当たないのが特徴だ。那覇の泊港からは船で2時間。飛行機は毎日3便飛んでおり、本島周辺で気軽に行ける島のひとつでもある。ハブやヒメハブも生息していないし、古き良き沖縄(←自分は古い時代の沖縄をよく知らないけど、こういう表現よく使いますよね、、、)の風情を残す島として結構観光環境の良い島と言える。島の特産は粟国の塩がもっとも有名かな?

フェリー粟国の甲板上、南側から見た粟国島の全景。一番西側(写真左側)のマハナが標高90メートルほどの高台となっていて、そこから東側に向かって緩やかに標高がさがっていく、見ての通り斜めった島である。集落は中央から東側を中心に存在。砂浜は東側にある程度で、西に行くにしたがって海岸沿いは断崖絶壁となる。
使える!村発行のイラストマップ
島南東部にある粟国港に降り立ったのち、まずは浜集落の街の中を通りつつ西端のマハナをめざした。それにしても冬なのに日差しがまぶしい日だ。
港から10分ほど歩いたら、今日創立記念式典があるという小中学校の前にきた。式典は、粟国小学校創立110周年、粟国中学校創立60周年を記念するもので、こういう日に島を訪れることができるなんて縁起がいい。
学校前には、教育用の信号機があった。ここに来るまで、車には二度すれ違っただけだ。沖縄の島は、島の子供たちが都会に出たときに驚かないよう、各島とも、学校のそばに最低でもひとつ信号が設けられているのだが、果たして役に立っているのだろうか。沖縄の島に来ると、いつも感じてしまう、不思議な疑問が浮かんだ。
信号前に売店があったので、粟国ならではのものがないかと立ち寄ってみたら、串刺しのあげいもが売られていたので購入した。なかなかの美味だった。
少し進んで村役場とJA、郵便局などを外から見学。ここからは南の海岸沿いに進路を変え、のんびりした海岸沿いの道を西へと向かった。
※粟国島の散策では、フェリー粟国の席に置かれていた粟国島の観光マップを参考にしながら歩いて回った。細かい道まで書かれたこの地図はこれがなかなかのすぐれもの。地形図などではない手書き地図なのだが、非常に小さな路地までほぼ正確に描かれていて、ナビィの恋の島だけにかなり便利なナビになった。
マハナに向かう途中、いったん海岸へ道を折れ、ヤマトゥガーと呼ばれる泉と簡易水道施設跡に寄った。これらは、南側の坂木那原海岸に面した断崖にあり、昔は貴重な水源として役立っていたのだという。もっとも行ってみたら泉らしきものはなく、朽ち果てた建物跡と、特徴的な岩の割れ目が眺められただけだった。
再び外周道路に戻り、マハナを目指す。海岸沿いは聖なる場所らしく、道を挟んで海と反対側の高台には立派なお墓がたくさん建てられていた。霊園と言った感じではなく、道からはあまり見えないように木々でうまく隠れていたのであまり気にせず散策できた。
マハナには港から1時間ほどで到着。
ここは西の外れの断崖の上にあり、低い位置にある海岸沿いの道路からは、最後の上り坂がかなりきつかった。
このあたり一面は番屋原の広場と呼ばれる村指定の名勝で、草原の先端は筆ん崎という断崖になっている。白い琉球石灰岩の断崖で下から眺めると圧巻らしいのだが、付近に歩いて下れる道はない。海に向かって広がる草原はかなりきれい。与那国の東崎のような光景が広がっているが、ここは動物の放し飼いは禁止で、馬が戯れる風景が楽しめた与那国とは対照的だった。
この広場にはマハナ展望台があるのだが、展望台に登らなくても十分景色を楽しめるところだった。
※筆ん崎の下に行くには、船でアクセスしない場合は、ヤマトゥガーより1本筆ん崎側にある小道(村役場からほど近い小道)を行く必要があるという。そこからいったん海岸へ出て、そこから延々1キロ程度断崖沿いの海辺を歩くとたどり着けるそうだ。当然満潮時はアクセスできず、干潮時に狙っていくしか方法がないらしい。
ちなみにシマダスの地図に寄れば、マハナは漢字だと「真鼻毛」と書く模様。「毛」が加わっていることに疑問を感じるが、偽の鼻毛というものも見てみたいものだ。

番屋原の広場(マハナ)からみた筆ん崎。海突き出た草原といった感じだ。奥に見えるのは渡名喜島と思われる。ということはもう少し右には久米島が見えたはず、、、。
悪いことしていないのにゾクゾク
マハナを出たあとは、今度は内陸側の道を進み、島北部にある洞寺(テラ)を目指した。
こちらの道路は街に向かって緩やかに下り坂になっていて、景色を楽しみながら散策できた。
マハナを出て少し下ったところで、同じフェリーに乗っていた政治家とすれ違った。やはり持ち込んだチャリで島を回っているようだ。エッチラオッチラ上り坂を上ってきて、かなり大変そう。軽く挨拶してすれ違った。
洞寺へ向かう途中、マハナから10分ほどの所にある番屋跡と大正池に寄った。
番屋跡は、粟国島でもっとも標高が高い場所で、道路の脇に少しこんもりした高台がある。シマダスによれば、「唐船などの接近を烽火によって慶良間諸島を経て王府へ知らせていた。」というが、それほど眺望のきくところでもなかった。
続いて大正池公園へ行ったのだが、ここは唯一地図が誤った場所を示していて(実際の位置よりもかなり西側に書かれていた)、たどり着くまで少し時間がかかった。地図だと番屋跡のすぐ東にあるように書かれているだが、実際には500mは離れた場所にある。番屋跡側から行くと、土地が一気に下がる下り坂の先にあり、分かりにくい。展望台などもあるのだが、ここから空港方面は木々に隠れてあまりよく見えなかった。
大正池公園を出たら、正面に洞寺への道順を示す手作りの標識があり、それに従って西と東の集落の境目を北方向へ進路を変えた。
洞寺には、マハナから1時間弱で到着した。ここはマハナと並ぶ粟国の名所で、鍾乳洞を雲水という和尚が修業の場としたところだ。ネットで検索すると、高台の上にある入口付近の写真ばかりがヒットする。この写真を見る限りでは、広々とした海の眺望が素晴らしい公園なのだが、実際の洞寺の鍾乳洞は、入口からかなり下った先の薄暗い林の中にある。
この鍾乳洞は電灯が少なく暗い。別に悪いことはしてないんだけど神聖な場所だけにゾクゾクしてしまった。特に奥の方は電気がついていず、近づかないと電気がついてくれないから、少し恐い思いをした。
一人でいるのがなんと薄気味悪いので、そそくさと退散し、入口付近の公園に戻った。この公園はむんじゅるの碑などが建っている眺望が美しいところ。このあたりの海岸(北側の海岸)は、岩が目立つ海岸線で、洞寺の入口付近からはきれいな青い海を眺めることができた。
小さくて素朴な空港
洞寺からは、来た道を少し南下したのち、途中で左に折れ、未舗装道を東進して空港へと向かった。
空港には洞寺から30分ほどで到着できた。
空港は非常に小さな建物で、中に入ったらおっちゃんが一人長椅子に寝転んでテレビを見ているほどのんびりした雰囲気だった。ちょうど飛行機が来ない時間帯で、窓口に誰もいないので、館内をパシャパシャやっていたらRAC係員のおっちゃんが一人出てきていきなり飴を出してくれた。が、礼を言いつつ乗るわけではないことを伝えたら、係員のおっちゃんはすぐに引っ込んでしまった。
※この空港には一応売店があるのだが、数種類しかものを販売していない。空港の詳しい内容は「空の駅情報館 粟国空港」をどうぞ。
空港の見学は小さすぎてあっという間に終了。
フェリーの出航まではあと1時間強だ。空港を一周する時間はないので、ターミナルから時計まわりに半周し、滑走路側から眺望できる地点を探しつつ、東海岸沿いを南下することにした。
空港脇から南への海岸は砂浜が広がる海岸が続いていて、空港のすぐ裏はプライベートビーチの風情。滑走路周辺は草に覆われ、滑走路をよく見られる場所はなかったが、離着陸する飛行機は簡単に狙えそうだった。
東海岸沿いは、北や南の断崖の海岸と異なり、砂浜が目立つ。粟国漁港を過ぎた先は長浜海岸で、東シナ海の海水浴が楽しめそうだった。
空港南端付近からは粟国港方面へと延びる外周道路を南下。歩いていたら、結構頻繁にダンプカーとすれ違った。まだまだ造成工事が続く粟国漁港に出入りしているようだ。そういえば、マハナから北方向に外周道路を造成工事中だったし、やはり離島の産業は土建業が中心なのだろう。

空港裏の海岸で野放しのヤギに通せんぼされた。粟国島にはたくさんのヤギが飼われていて、至る所で見ることができる。ちなみに島内は放し飼い厳禁なんですが、、、。
島の南東にあたる粟国港近くの運ん崎付近は岩海岸で、遊歩道が整備され、心地よい風が吹いていた。この海岸は映画ナビィの恋で別れのシーンが撮影されたロケ地らしく、遊歩道も映画上映後に整備されたのだそうだ。あずまやなんかもあり、港からも近いから、出港までの時間をゆったりと過ごすのによい空間だった。
粟国港へあと少しとなったところで、ちょうど反対方向から政治家も帰還。やはり長くなった滞在時間をフル活用して遊説していたようだった。離島が多い沖縄の政治家は大変だ。
船はしばらくして時間通り15:30に出港。
出港してしばらくデッキで眺めていたらRACのアイランダー機が着陸していった。今日の最終便だ。船が1日1便に対し、飛行機は10人程度の定員とはいえ1日3便。乗り心地は船に軍配だが、粟国に限っては利便性は明らかに飛行機が高く、このあたりがまだまだ飛行機が健在の理由なのだろう。
客室に戻ると、小中学校の創立記念式典帰りの人がいたせいか、やや人が多かった。だが、それでも50人も客はおらず、やや過剰感がある供給量だ。飛行機も健在とはいってもアイランダー路線は慢性的な赤字路線として知られる。うまく船と飛行機の住み分けができればなあといった感じだった。
しばらく粟国のことを思い返していたものの、歩き疲れてしまったせいか眠りについてしまった。
ハッと気がついたら、船はもう泊港着岸寸前まで来ていた。これでは2時間の航路もあっという間だ。
とまりんからはモノレール経由で空港へ行ったが、羽田行の最終便まではまだまだ時間があるので、途中、日本最南端の駅「赤嶺駅」に寄り道。沖縄本島も少し観光した形で帰路についた。
沖縄からのJAL最終便は、冬休み前ということもあり、空席が目立つ便だった。
夜間飛行+海の上飛行ということもあり、外の景色もろくに眺めずに眠りに入ったら、復路の粟国フェリー同様、あっという間に羽田に到着してしまった。
こうして初の離島紀行も終了。
予約時の事前調査で欠航や遅延を考慮しすぎ、余裕を持たせすぎた行程を組んでいたが、もうすこしシビアな行程を組んでも良かったのかもしれないと思う旅行となった。
■今回の教訓!
・(粟国)マハナの下へは干潮時にしか行けない!(←事前調査をしっかり)
・(粟国)那覇から2時間ののんびり島!(←観光客少なく穴場です)
・(粟国)時間があればレンタサイクルもいらない!(←のんびり歩いても4時間もあれば1周、1日あれば2周はできます。)
・粟国-那覇は飛行機もお勧め!(←便数多いし滞在時間大幅up!有効活用を)
・離島はなにもなければ意外とすんなり行程通り!(←欠航を心配してあまり余裕を持ちすぎるのも考えもの)