2009年01月11日

宮古諸島へ(2日目)

■2009.01.11 (那覇)→与論?→(那覇)

デカッ

旅行2日目。
昨日宿に着いたのが遅かったせいでなんだかあまり寝ないまま5時には起床した。
今日は朝7時に那覇港を出る船で与論へ。昼少し前に着いた後2時間ほど与論で過ごし、与論発14時すぎの船で戻ってくる予定だ。本当は飛行機で行き来したいところだったが、那覇基準でみると1日1便しか飛んでいず時間も13時前後で扱いにくいからあきらめていた。

宿の部屋を出て港に向かおうとしたら、階段正面に船が見えた。
これがまたとんでもなくデカい。こっちは4階レベルにいるはずなのに船のほうが背が高いのだ。瀬戸内海航路など短時間航路しか利用したことがないから、そのデカさに度胆を抜かれてしまった。
港までは歩いて5分で、目の前に停泊する船はまるでビルのようだ。40分前に着いたものの、客はあまり多くなく、切符もすんなり購入。30分前には乗船開始となった。

乗船は、船脇に設置された長い長い仮設階段を利用してのきついのぼり。ひーひー言いながらやっと乗船し、割り当てられた区画に行くと、1畳弱ほどのマットと枕が用意された区画だった。区画には番号がふってあり、今日は番号指定はなかったけれど、混雑時は番号を使っているようだった。
与論までは5時間。船内を見る暇はいくらでもあるから、ひとまずは甲板に直行。少しだけ明るくなった港を出航する様子を眺めた。

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右にわずかに写るのが乗ったマルエーフェリーの船だ。左のターミナルビルよりもデカい。


ビルなのにオワンの?

出航からほんの10分ほど甲板にいたが風があって少し寒いので、港区域を出る少し前に客室へ戻った。さて船内を見て回るかとさっそく準備をはじめたころ、船が激しく揺れはじめた
横揺れなどほんの序の口。大きく前のめりになったと思ったらU字に後ろのめりに。まるで大きなお椀にでも乗ったかのごとく、ぐわんぐわんと大揺れし始めたのだ。お椀だけにまさに世の中終わんのかといった感じ。立とうとしても船からのひっぱりの力に逆らえず立ち上がれない状態。寝ようとしても体が固定できない

アジャパー、と思ったのもつかの間、すぐに来た来た、すごい吐き気だ。この状況では酔い止め薬などまったく効果ゼロ。念のため枕元にゲロ袋を用意していたが、揺れすぎで袋に吐ける自信がない。必死で我慢しながら、立ち上がれない船内を這いずりまわるがごとく移動してトイレへ駆け込み、あとは個室ブースに入り浸りになってしまった。
だが、個室に入っても吐くものが出てこないのだ。船の揺れに胃腸がついてこれず、戻すことすらできなくなっていたのだ。こんな経験は初めて。吐きゃ少しは楽になるのに、いまにも戻しそうな気分のままだ。
さらに最悪だったのは、酔い止め薬を飲むために、出発前に待合所で売ってた握り飯を食っていたことで、喉の奥に細かい米粒が詰まったまま出てこない。指を突っ込もうが背中をたたこうがまったく効果がなく、個室の中で膝をついてうずくまり、ひたすら吐けるようになるのを待った。
結局1時間も我慢していただろうか、少し揺れが収まったのと、ほんの少しだが詰まり物が吐けたことで少し落ち着き、トイレを出た。

※後日この日の天候を見なおしたら典型的な冬の気圧配置で北西の風が強い状況だった。それなのに前日から残った雲のおかげで朝のうちは不安定と、海は荒れ気味だったようだ。しかも船の進行方向は最初北西〜北方向。横風ならスタビライザーが頑張ってくれたんだろうけど、正面からの風には耐えきれなかったようだ。本部に向かう後半少し揺れが小さくなったのは島影に入ったのもあるんだろうけど、北東に少し向きが変わったのもあるのかもしれない。


しかしまあ、今は沖縄本島の脇にいるからまだ波が低いが、与論島との間には大海が横たわる。このまま残り4時間も船にいるのはつらい。しかもよく考えると2時間あけてまた5時間船に乗らねばならない。

これは絶対に無理だ。

どうしようか考えていたら、約1時間後に本部港に停まるという。本部なら沖縄本島だから陸伝いに那覇へ帰還可能だ。インフォメにいた係のおねえさんに「気持ち悪いから本部で降りたい」と伝えると、返金なしでいいなら可だと言う。
返金なんていらんいらん。
とにかく降りるのが優先だった。



いイエ、沖縄デズニSEAを行くことにしました

30分後。

一人ポツンと本部港に立っていた。

結局本部港でおろしてもらったのだ。
船員さんは「この程度で〜?」といった顔つきで笑いながら見送っていたが、なんとも情けない話だ。

陸に降りてもまだ体は大揺れ中でいかんともしがたい状況だ。だが、まだ朝9時で、今日は始まったばかりだ。こうなったら美ら海水族館でも覗いて帰るかと思ったが、この本部港、本部の街からすら離れた位置にあり、美ら海に至っては車でも20分は離れた位置にある。港周辺には何もないからレンタカーを調達するわけにもいかない。

こりゃどうしようもない。ひとまず照りだしてきた太陽から逃れようと港の待合室に入ることにした。
待合室に入ったら、この港は鹿児島沖縄航路だけでなく、伊江島航路も発着する港だった。
伊江島と言えば定期便はないが飛行場がある島だ。今日はもうやることがない。せっかくなのでこの伊江島に行くことにした。見たら次の船まで2時間ある。これだけあれば酔いも解消するだろう。そしてこの航路はたった30分で、かつ外海には出ず島影の航路だから大揺れすることはないだろう。いま船で大変だったのにまた船に乗ることにしてしまった。
現地での移動が気になるところだったが、待合所に書いてあった観光案内所に電話したらなんとかレンタカーを確保できるという。これで伊江行を即決した

※伊江島は島中央にディズニーシーにあるような山がニョキッとそびえたつ不思議な景色が楽しめる島だ。今回は、結局沖縄からは出ずにSEAを渡った形になったわけだ。

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結局行き先変更!乗ってきたマルエーフェリーを見送りながら、これから目指す伊江島を望む。ニョキッと飛び出た山が城山と呼ばれる島のシンボルだ。手前に海もあるし、見るからに東京ディズニーシーである。


だが、出航まではまだ1時間以上ある。ただボケーと待合室にいるのももったいないし、グラグラする頭を少しは正常に戻そうと運動がてら本部の街を見学しに行った。
行く途中で、港の前のバス停を調査。帰りはどちらにせよ、バスで帰ることになる。ここには名護バスターミナル発着で本部半島を一周する沖縄バスが時計回り(65系統)と反時計回り(66系統)に運行されているようだ。(だいたい1時間に1本程度。)
だが、歩いても歩いても本部の街に着く気配がない。結局、街の中心部まで行くのはあきらめ、瀬底大橋を少し過ぎたあたりで引き返してしまった。


意外と観光島だった伊江

再び港に戻ると伊江島に行こうとする人が何人か集まった状態だった。
運動したおかげで気持ち悪いのはだいぶ解消してきたが、まだ頭の中は揺れていて、静かにしているとユラユラする。
そんな状態でまた船に乗ったものの、やはり内海の運行であまり揺れず、今回は問題なく乗り通せた。

伊江島は観光地の島だった。伊江島の観光協会は港にあり、すぐにレンタカーを借りられた。急な予約で小型車は確保できず、車種はフィット。4時間4200円での貸し出しだった。

tour090105.jpg
やってきてしまった伊江島。船に酔ったのに船でアクセスということろがなんとも、、、。実は、昨年ツアーで美ら海水族館に来た時に、正面に見えるこの島を見て、正直、即行きたい!と惚れてしまった島だったのだ。

観光協会でもらった観光地図を見ながら島を一周することにしたのだが、どうも運転に集中できない。あまり気が付いていなかったのだが、体がまだ揺れていて、座ると気持ち悪い状況だった。仕方がないので長時間運転しないようチョコマカ名所に寄ることにした。

まずは島最西端に位置する伊江島灯台を目指し、南海岸を西進したのだが、アーニーパイル記念碑、GIビーチ、ニャティヤ洞といろいろ寄り道した。
中でもニャティヤ洞は力石がある名所。重たく感じたほうにより男に恵まれるとか女の子に恵まれるとからしい。拝所らしく入っていいものか迷ったのだが、ちょうど教育委員会の人が車できていて普通に中に入って行っていたので、軽く見学をした。

そこからはサトウキビ畑が広がるさわやかな平地をドライブ。港から名所による時間含めて30分ほどで伊江島灯台に到達できたのだが、なんと灯台は米軍基地エリア内にあって近づくことすらできなかった。

※島を見学していく中で知ったことなのだが、太平洋戦争時、伊江島は島全体で日本軍と米軍の双方で多数の死者が出た大激戦地だったそうだ。島の象徴である城山は、日本軍の本陣だったそうで、米軍は海沿いから上陸し、山の上を目指して攻め入ったという。島内にはその名残が随所に残り、たとえばニャティヤ洞は防空壕となった場所だ。米軍基地があるのはそうした背景があるせいで、島の西部は基地区域で日本人は立ち入れない。滑走路が3本あり、空港ファン的には面白い島なのだけれども、悲しい現実があることを忘れてはならないし、それを強く実感できる島だった。

tour090104.jpg
一応島発行のMAPでも普通に灯台までの道が書かれている伊江島灯台。なんと米軍基地区域内にあり、日本人は立ち入ることができない。


滑走路を走れる島

灯台を出たあとは、左に米軍基地を見ながら南東方向へと進み、湧出展望台と湧出、リリーフィールド公園の北側の名所に寄った。この島は南側に砂浜が広がるのに対し、北側には断崖があり、湧出はその名所になっている。海岸沿いに行けるうえ、断崖上からも展望を楽しめる場所だった。

その後は、少し戻る形で米軍の補助滑走路へ行った。この島は、島西部に3本の滑走路が並行で敷かれている非常に珍しい島だ。一番の西側は米軍基地、東側は伊江島空港として使用しており、真ん中の1本は米軍の補助滑走路となっている。普段は使用されておらず、囲いもないので、誰でも自由に行くことができるスポットだ。島の観光スポットとなっており、観光マップでも滑走路は道路として描かれている。

補助滑走路を北から南へドライブした後は、今度は南から北へ。島をジグザグに進行しながら、伊江島空港へ向かった。
空港は案の定閉鎖されていた。エアードルフィンも乗合便をやめており、チャーターしない限りは降り立つことはできなそうなこの空港。それでもときどき離着陸があるのか、エプロンには空港管理用の比較的新しい車が停まっていた。

→空の駅情報館「伊江島空港」
http://www.geocities.jp/johokotu00/airport/iejima/index.html
(城山からの眺めも公開)

空港そばのゴヘズ洞穴を外から眺めたあとは空港をぐるりまわったあと、反時計回りで島を回って、メインレジャー地の伊江ビーチへ向かった。
このビーチは、島一番の海水浴場で、青少年旅行村の中にある。よく整備された海水浴場で、入口で入場料をとるゲートがあったのだが、そのまま素通りできた。冬場だからのようで、ビーチにも誰もいず、しばしたそがれることができた。

その後は島の中心地へ。
途中、ファミマがあったので寄ったのだが、まあ、普通のコンビニだった。飲み物ぐらい調達しとくかと軽い気持ちで入ったのだが、そしたら、酒盛り後の定番ウコンの力があるのが目にとまった。酔いに利くんでは?と妙案が。さっそく試してみたら、喉の気持ち悪さがいくぶん解消され効果ありだった。

ここまで来れば、あとは島の象徴城山(タッチュー)に登ればだいたいまわったことになる。港側から公益質屋跡の脇を抜けて上り坂を進むと城山登山口と書かれた公園があり、その脇の草むらに駐車場とある。だが島一番の観光地のはずなのに車がとまっていない。
なんだか不思議に思ったが、ここからはハイキングだ。覚悟を決めて山道を登りはじめた。
10分も歩いただろうか。しばらく登ったら上に城郭が見える。意外と簡単に頂上か?と思ったら、なんとここが城山のメインの登山口だった。しかもここは観光地らしく、出店あり、駐車場ありで、多くの観光客が行き来していた。ありゃりゃ、自分が車を止めたのは簡単に言えば、人気のない三合目と言ったところ。今登ってきた城郭が五合目みたいなものだった。下から見たら結構あるように見えたが、頂上まではここから歩いて10分足らずだった。

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伊江島の象徴、城山。中腹展望台と呼ばれるところで、ここからでも結構な展望が楽しめる。正面の登山口に入って10分ほどで頂上に到達できる。


城山頂上からの眺めは360度支障なし。特に対岸の本部から島にかけてエメラルドの海は絶品の眺めだった。沖縄はあまり高い山がないからなかなかきれいな海を高い所から見れないがここは格別。沖縄に来たらぜひ来るべし!という場所だろう。


城山から下りたら車返却まであと30分ほど。街中を少しチンタラまわりながら港へ行った。
港は本部へ向かう客でごった返していた。これから乗る便は今日の本部行の最終便(16時発)。観光地らしく結構待っている人が多かった。特に少年野球チームの団体がうじゃうじゃいて売店のレジは長蛇の列ができる有様。当然船内も満員に近く、30分は甲板で過ごした。


名護で棚ボタの有名建築見学

さっき本部を出る前に港前のバス停で、復路の船の本部着(16:30)とほぼ同時刻(16:28)に出る名護行のバスがあることを確認していた。ダイヤ上はバスのほうが早発だから、乗ることはあきらめていたのだが、結局バスは船からの乗換を待って発車となった。この時間はちょうど朝乗った鹿児島航路の那覇行が発着する時間でもあって、バスから馬鹿デカい船が見えた。本当ならあれで那覇まで帰るはずだったわけだから、なんだか残念だ。

名護までは30分ほどかかった。バスに乗る前に運転手に那覇行との接続を尋ねたら、終点の名護バスターミナルまで行かず、手前の名護市役所北口で降りて少し歩いたところにある名護市役所前が近くていいと勧められていた。

※後で知ったことなのだが、実は、名護バスターミナルは名護市中心部の西はずれにある。今回乗った66系統は西から来るのだが、名護バスターミナルの脇を通り過ぎた後、一度海沿いの国道58号から一本北側の市街地の道路を東進、名護市役所北口などを経たのち、ずいぶん先でぐるり時計回りに回転し、国道58号を引き返してくる経路をとっていた。同北口バス停を出た後、6バス停を経て名護市役所前バス停を東から西へと通過するのだった。


市役所付近は市役所を挟んで一本南側の道(国道58号)に那覇行ののりばがあった。現地で確認したら次の便は約40分後。有り余った時間をどう使おうか迷ったが、目の前の市役所が遺跡みたいな建物で見学することにした。あいにく休庁日で中に入ることはできなかったが、かなり面白い建物に興奮してしまった。
実はこの建物は、昨年ツアーで美ら海水族館に訪れた際、車窓で見て、何だろうと不思議になっていた建物だった。美ら海に行ったときは那覇から延々バスで2時間かけて水族館だけに行き、現地を楽しまずに延々2時間かけてバスで戻っただけ。水族館などろくに見ずに、海と山と建物を見てうずうずしていたことを思い出した。今回、一切計画せずにこれらの場所に急きょ行くことになったのだから、なんともラッキーな話だった。

tour090107.jpg
この市役所は外見が遺跡みたいな非常に珍しい建物で、建築界では有名らしい。冷房いらず(現在は設置)で沖縄的な建物で、誕生当初はいろいろ議論があったんだそうな。

市役所に行った後、まだ時間が余っていたので、国道を挟んだ市民会館に行った。こっちはちょうど成人式の終わったところで振り袖やスーツの新成人が沢山いた。中にはもちろん馬鹿殿も何人かいて、タムロった上で気勢というか奇声をあげていた

市民会館をしばし見学後、バス停に戻り到着を待った。
このバスは、那覇行の始発バス停に当たる名護バスターミナルから数分のところにあるのだが、時間に少し遅れて来た。沖縄の北方の街とは言っても交通量も信号も多いからその影響があるようだ。乗ったら3割ほどの乗車率。このまま那覇まで2時間近くを爆睡で過ごした。

那覇のバスターミナルは旭橋駅近くにあり民宿までは歩いて15分ほどだった。港にはさっき本部港でチラ見したデカフェリーがすでに停泊していて、やはり名護を経由する陸路よりは早いようだった。
明朝は出るのが早く、管理人さんに挨拶できないかもしれなかったので、管理人さんに挨拶に行ったら、今日の経緯を話して30分位井戸端会議をしてしまった。

今日は、結果として予定していた与論島には行けなかったものの、とても充実した一日を過ごせた。
が、疲れ果ててしまったおかげで、宿の部屋に入ったら布団に直行だった。

だが、

布団で横になったらなんと地面がユーラユラしている。まだ体は揺れを覚えていて、この夜はなかなか寝付けない夜を過ごすことになってしまった。




■今回の教訓!

船乗る前には飯は食うな!(←食うにしてもウイダーみたいな無固形物を推奨)
冬場の船は風の影響を受けやすい!(←北西の風)
(伊江)滑走路を走って楽しめる!
(名護)市役所は絶対に見ておくべき!




01/11
(実際の行程)
宿(那覇)06:10(徒歩)→06:20那覇港
那覇港07:00(マルエーフェリーなみのうえ)→09:00本部港
本部港11:00(伊江村営フェリー)11:30伊江港
伊江港11:30(伊江村観光案内所レンタカー)→[伊江島空港]→15:30伊江港
伊江港16:00(伊江村営フェリー)16:30本部港
本部港16:28(沖縄バス66系統)16:55名護市役所北口
名護市役所前17:33(沖縄バス111系統)19:02旭橋BT
旭橋BT19:10(徒歩)→19:30宿
(民宿はとば荘 泊)

(予定行程)
宿→沖縄那覇港07:00→12:00与論港→[与論]→与論港14:00→18:40沖縄那覇港→宿(民宿はとば荘 泊)


posted by johokotu at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆旅行記 | 更新情報をチェックする
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