このページの旅行記は平成20年12月の旅行記です。しばらく最新更新日のまま残しておきますが、旅行後まで公開したのち、1か月弱で、旅行した期日へファイルを移動します。
■2008.12.13 (東京)→(大阪)→(和歌山)
夜行よりも通勤用車両で爆睡
今回は目的地が紀伊半島。飛行機搭乗はラストのみで、往路は大垣夜行(「ムーンライトながら」)と青春18きっぷを活用し、鈍行で向かった。
前日の12日は会社に荷物を持っていっていたので、仕事が終わった後はスーツを着替えてロッカーに突っ込んだあと、まっすぐ電車へと向かった。ムーンライトながらには横浜から乗車だ。
ムーンライトながらは完全指定席の列車になったから、通路に寝転ぶ客はほとんどいないものの、毎度のことだが、指定券を持たない客がウロチョロしていて、やっぱりゆっくり寝ることができない。3月から完全指定席になったはずなのにこれだから困ったものだ。で、停まる各駅では撮り鉄が外でパシャパシャ、出入りでバタバタ。とにかくうるさくて快適な夜行とはほど遠い。
これらの存在に対するクレームが列車廃止の危機の一因と言われているのに、こういうマナー違反者は自分達の存在が、列車廃止に拍車をかけているのを理解していないらしい。
結局満足に眠れないままながらの終点の大垣まで来てしまった。このせいか、ここから先の接続電車は通勤用車両を使っているにもかかわらずかなり爆睡してしまった。
大垣からは米原、大阪、天王寺と乗り継ぎ。ながらを降りてから3時間程度は電車に乗っていたはずだが、爆睡したせいかあっという間に鳳に到着。
時間を見たらちょうど10時だった。
オリックスレンタカーは駅から歩いて10分ほどかかる位置にあった。
鳳周辺は、郊外都市といった感じで住宅が多い地域で、駅の近くにヨーカドー系のショッピングセンターアリオもある。
オリックスレンタカーは駅前ではなく、第二阪和国道沿いにあった。おそらくはマイカーを持たない住民がターゲットなのだろう。
営業所で車を借り、さっそく五條市方面へと向かった。
早々に大台ヶ原を断念
鳳周辺はやや道が入り組んだ地域で、渋滞も多く、五條市へと抜ける国道310号線に出るのに1時間近くを費やしてしまった。さらにこの通りは山道ながらやや車が多い通りで、なかなかすんなり走れない。結局、五條に到達したのは12時少し前で、想定したよりも大幅に時間がかかりすぎてしまった。
五條からはやや東に進路をとり、大台が原へ向かおうと思っていた。だが、ここまでの時間を見る限りでは、熊野三山に今日中に行くとなると、寄ってる暇がまったくない。大台が原は早々に諦め、五條から直接南下して十津川村を通過しつつ熊野三社へ向かうことにした。
五條以南の国道168号線は本格的な山道で、一気に車が減った。川に沿って曲がりくねった道ではあるものの、ほかの車がほとんどいないから自分のペースで走れる快適路だった。
これから通り過ぎる十津川村は、日本最後の秘境などと言われたこともある山村で、長らく行きたかった場所だ。五條側の谷は、五條から30分も走れば終了。道の駅吉野路大塔付近に尾根があり、それを抜けると、あとは南に向かって流れる十津川と並行する道になる。このまま熊野速玉大社がある新宮市まで十津川、さらには熊野川(←世界遺産)沿いの道なのだ。この十津川、半島のど真ん中を流れているにもかかわらず、上流から川幅が広い川で、ずっと中流が続いているような不思議な川だった。
谷瀬のつり橋の様子。とにかく高い長いといった印象。
十津川村に入って最初に寄ったのは谷瀬のつり橋だった。
このつり橋は、川幅が広くなった十津川にかかるつり橋で、なんと高さ54m。橋の端には係員が立っていて、同時に20人以上が渡らないよう交通整理をしているほどだった。
※十津川村は奈良県の約5分の1を占める非常に大きな村だ。谷瀬のつり橋は十津川村の中でも北の方にある観光地で、自然豊かな十津川ならではの名物。訪れた日も京都の大学一行がマイクロバスでやってきていた。銘板によれば昭和29年完成の古い橋で、対岸とは約300mも離れている。ちょうど川幅が広い場所にかけられていて、つり橋からの眺めは抜群だった。
つり橋を出た後も、右側に十津川が展開するクネクネ道で、意外と時間をロス。村中心部にある道の駅十津川郷に寄った時点ですでに14時を過ぎてしまっていた。十津川温泉でゆっくりしたかったが、このままでは三社回るのが大変そうだから、とにかく先を急いだ。
那智は明日
結局、熊野本宮大社には15時半前に着いた。
大阪からなら2、3時間で行けるかと思っていたのに、なんと5時間程とかなり時間がかかってしまった。日没は17時過ぎだし、那智大社は今日行くのは無理そうだ。
本宮大社がある一帯はかなり山の中のはずなのに、熊野川がつくる広い平地が広がる地域だった。もともと本宮は熊野川の河川敷にあったようなのだが、川の氾濫を逃れるように現在は少し高くなった所に移転している。元々あった旧社地もきれいに整備されていた。世界遺産登録されてから観光客が増えたせいか、道路もきれいに整備されていた。
本宮大社では歩く距離が長く、1時間弱かけて参拝。
16時過ぎに本宮大社を出て、海岸沿いにある速玉大社へと向かった。
熊野本宮大社。ここに描かれている「やたがらす」は神話に出てくる神の使いだとか。サッカー日本代表が使用しているのは知っていたけど、こんな理由があったとは知らなんだ。
本宮大社から速玉大社までは30分ほどで、着いたのは17時前だった。
さっそく社殿へと向かったものの、太陽はすでに落ちているのか薄暗くなりそうな中参拝することになってしまった。当然、人はまばら。やっぱり夜に詣るような輩は少ないようだ。この大社はそれほど入り組んだ配置になっておらず、小ぢんまりとした印象で、すんなり参拝ができた。
参拝して社務所に寄ったら、少し離れた山腹に神倉神社という奥の院のようなものがあるとの表示がある。宮司に夜でも開いているか聞いてみると、「開いてはいるが暗いよ」との返事。だが、せっかく来たのだから参らねばと向かうことにした。
神倉神社の入口に着いたころにはだいぶ周囲が暗くなっていた。さすがに足元が見えないほどではないだろうと思っていたのだが、なんと着いたら電灯があるのは入口付近だけであとは真っ暗。参道は延々不安定な石段が続くのだが、電灯がなくて真っ暗だから、携帯とデジカメのライトを頼りに、石段を登る羽目になってしまった。
頂上までは10分程だった。大きな石がご神体でそれなりの社も建っていたようなのだが、真っ暗な中近付けずに何にも見えず、新宮市内の夜景を楽しめただけだった。
問題だったのは下りの石段。油断するとすぐに踏み外しそうな不安定な石段は、おそらく昼間でも下るのが大変そうなのに、ライト点灯のために携帯とデジカメで両手がふさがっているから、恐る恐るゆっくりゆっくり戻っていった。
熊野速玉大社。もっともコンパクトにまとまっていた大社で、新宮市内にある。
さて、時刻はまだ18時過ぎたところだが、すでに太陽の光は無くなってしまっていた。結局今日は潮岬はおろか熊野三山もすべて回れなかった。
ひとまず夕食にしようと新宮市内を回ったものの、廃れた街で駐車場付の食堂は皆無に近い。仕方がないから地元系スーパーのオークがやってるファミレスで食事にした。土曜夜の稼ぎ時なのにほとんど客がおらず、なんとも淋しいかぎりだった。
夕食後は隣接する三重県の道の駅紀宝町ウミガメ公園へ移動した。本当は本宮大社近くにある温泉にでも行ってゆっくり疲れをいやそうと思っていたのだが、眠くて眠くてたまらず、1分でも早く就寝地に着きたかったので、速玉大社から一番近いここにさっさと来てしまった。
風呂には入れなかったものの、腹は満たされたし、すぐに就寝した。
■今日の教訓!
・大阪平野は下道を抜けるのに結構かかる!
・大阪から熊野へは4時間は見ておけ!
・熊野周辺の道路は意外と整備されている!
・神社に参るときは日没までにいくべし!
■今日の行程
12/13
(実際の行程)
会社22:00頃(京急線等)→横浜(東海道本線・快速ムーンライトながら)→
(快速ムーンライトながら 車中泊)
→6:52大垣6:57→米原→9:13大阪→天王寺9:41→9:57鳳
鳳10:30(オリックスレンタカー)→谷瀬のつり橋→熊野本宮大社
熊野本宮大社→熊野速玉大社→道の駅紀宝町ウミガメ公園
(オリックスレンタカー 車中泊)
(予定行程)
会社→(京急線)→東京(東海道本線・快速ムーンライトながら 車中泊)→6:52大垣6:57→米原→9:13大阪→天王寺9:41→9:57鳳10:00(オリックスレンタカー)→大台ヶ原・熊野三社・潮岬→道の駅ふるさとセンター大塔か志原海
2008年12月13日
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