2009年12月14日

過去と未来へ(3日目)

このページの旅行記は平成20年12月の旅行記です。しばらく最新更新日のまま残しておきますが、旅行後まで公開したのち、1か月弱で、旅行した期日へファイルを移動します。


■2009.12.13 (指宿)→枕崎→(鴨池)→宮崎→東京国際


枕崎の展望台へリベンジ達成!、、、、?
いよいよ最終日。
今日は8時半に開く枕崎飛行場を見学後、旧鹿児島空港のあった場所である鹿児島市鴨池地区を探索。昼過ぎに鹿児島中央からバスに乗って宮崎へ行き、宮崎発最終便で東京に戻る予定だ。
枕崎飛行場は2年前に一回訪問した。この時も今も定期便は飛んでおらず状況に変化はないので、はっきり言うと寄る必要は全くないのだ。しかし、前回訪問した時は日曜日で、管理事務所の人間がおらず、屋上デッキに上れなかった。その時「平日なら上れる」と言われていたので、月曜日の今日、デッキに上るためにリベンジ訪問することにしていた

泊った道の駅いぶすきから枕崎飛行場までは1時間もかからず行けそう。飛行場の開場時間は8時半でどんなに急いでも見学は8時半以降になるから、少し車内でゆっくり過ごし、7時半すぎに道の駅を出発した。
今日は3日間で一番よい天気で、空は雲ひとつない快晴だ。一昨日は晴れてはいたものの薄い雲が出て飛行機機内からの撮影に不向きだったし、昨日は屋久島でパラついたし、日中飛行機に乗らない日に限ってこんな天気とはなんとも残念だ。

道の駅の正面の狭い道をクネクネ進んでひと山越えた後、飯山喜入線(県道245号線)に出てしばらく進んだら、南薩広域農道に出た。茶畑が一面に広がる地域で、のんびり横切って飛行場に着いたら、8時15分頃。ベストタイミングで着いた。

まずは空港北西部にある空港公園へ。
この公園、入口に公園名を書いたものがなく、前回訪問時は気がつかなかったのだが、今回訪問前に調べていたら、グーグルマップで「空港公園」と出てくる。これは写しておかねばとまず訪問してみたのだ。テニスコートなどがある公園で、管理者は空港事務所のようだ。
空港を入れて写真を撮ろうとしたが、これが完全な逆光。薩摩富士と空港を一緒に撮れるベストな場所なのに、こんな日に限って快晴とは、お天道さんも意地悪なことだ

空港公園での撮影後、外周をぐるりまわっていたら、ヘリが一機大音量でプロペラをまわしていた。前回来たときは、土日で管理事務所の人間すらいなかったが、今日は開場時間の8時半前にすでにヘリが稼働中。ということは、今日は管理事務所の人間がいるということで、期待できそうだ。さっそくターミナルへと急いだ。


tour091221.jpg
枕崎飛行場にある東和航空の格納庫。側面に記載がある通り、薩摩硫黄島・屋久島・種子島・鹿児島を結ぶ「エアタクシー」が運航中、、、、と行きたいところなのだが、すでに東和航空はなくなっている。つまり、デカデカと掲げているこの表示は全部ウソ表示なのだけど、消すにもお金がかかってまうし、消す気はまったくないらしい。
東和が運航していたこの経路、面白い経路ではあるのだけれども、やはり鹿児島側のアクセスが最大の課題だったのでは。たとえ話はまずいかもしれないけど鴨池に空港があったなら、船と対抗できたような気がする。
南薩エアポートの人に寄れば、現在は、枕崎から飛行機をチャーターするのは無理とのこと。なお、鹿児島など別の空港でチャーターして往復するのは可能とのことだ。



前回来た時と大して雰囲気が変わらないターミナルは、パンフがやや減少していた。ただ、レア物はまだまだ健在で、今回もJASの広告が入ったパンフを確保できた。
中身が変わらないことは予想済。今回はデッキの見学がメインだから、パンフ物色もそこそこに2階へ向かった。

デッキへあがる階段の所には、前回同様に管理事務所に声かけろと掲示があった。前回訪問時と一緒だ。

「はいはい、わかってますよ。」

すぐ後に管理事務所があるので扉をノック、係員が出てくるのを待った。

ところが、、、。鍵はあいているものの、なんと事務所には誰もいない。

「ありゃりゃ。」

仕方がないので一階に下りたら、枕崎のジャンパーを着た南薩エアポートの係員がいたので声をかけた。

「デッキに行きたいんですけど、管理事務所の人はいないですか?」
「安全上の問題でいまはあがれないんですよ」
「え゛ーーーーーーーーーーーー」

前回訪問時、「平日なら管理事務所の人間がいるから開いてる」との返事だったはず。だからわざわざ月曜日に合わせて来たのになんと非情な話。結局第一の目的であるデッキ見学は実現しないまま、この飛行場を去るはめになってしまった。薩摩硫黄島行でも復活しないかぎりは、こんな飛行場二度と来ることはないだろう。

そんなこんなで結局30分も滞在せず、9時前には枕崎を出発することになってしまった。


旧ターミナルだけが残る鴨池
枕崎からは、最寄駅の白沢駅を調べる気力も起きず、そのまま北東進して鹿児島市内へと向かった。

知覧の先、指宿スカイラインのある尾根を過ぎたら鹿児島市内へ向けての下り坂。ちょうど正面に桜島が見えていたのだが、なんだか南斜面から煙があがっている。よくよく見てたらヘリも結構飛んでいて、活火山らしく小噴火していたようだ。よそ者の自分は驚きだったものの、鹿児島はいたって平穏な様子だった。
鴨池までは車は多かったものの、流れは順調で、10時すぎに到着できた。

→薩摩半島には指宿スカイラインという有料道路がある。さっさと鹿児島に行きたいために使ってみたいのだが、北西側から南東側へ伸びる道路で、道もくねくねしているので枕崎側からははっきり言って使いづらい。下道を使ったら、みんな同じ考えで、山道はずっと混雑した状況が続いていた。

ひとまず昨晩見つけた日本軍の石碑を見に緑地公園へ。管理事務所の係員にこれ以外に飛行場に関する碑などがないか尋ねたものの、公園内にあるのはこれだけだという。
その後は旧ターミナルへと移動した。ネットで事前に調べたとき、南国交通が旧ターミナルを改装使用しているとの情報があったので、訪ねてみたのだ。スーパー等が入るその建物は健在だったが、すぐそばにあったという格納庫は解体されてしまっていた。


tour091209.jpg
旧ターミナル地区の現在の様子。大部分が駐車場と化していた。奥に見える警備会社の看板が乗っかる建物が旧ターミナル。手前側舗装工事の重機があるあたりに昨年まで格納庫が健在だったという。奥に見えるマンションは空港跡地に建てられたもので、鹿児島でも有数の住宅地に変化している。


旧ターミナルを見たあとは県庁へ。展望台から旧空港区域を撮影しようと思ったものの、あがってみたら南側はレストランで眺めることはできなかった。ただ二階に図書室があって鹿児島空港建設関係の資料を見ることができ、建設当時モノレール新設を検討していたことを知ることができた。

結局あまり旧空港に関するものを見られないまま鹿児島中央駅前へ行くことになった。もう少し旧空港の跡地ですよ的なものが残っていてもよい気がしたのだが、さすがは新しいものを取り入れるのがうまい鹿児島だけあって、昔のことにはあまり関心がないようだ。
鴨池から鹿児島中央駅までは15分ほど。12時過ぎに車を返し、すぐにバスのりばへと向かった。


九州は高速バスが便利だ
これから乗る宮崎行高速バスは予約不要。旅行前にネットで調べたのりばの地図はあるものの、どこで乗車券を買えばいいのかは分からなかった。
で、とりあえず「のりばに行けば分かるだろう」と行ってみたら、そこは南国交通の仮設バスターミナルだった。

バスは時間通りにやってきた。宮崎まで3時間近くかかるのにトイレも付いていないいわゆる観光バスタイプ。トイレがない代わりに途中霧島SAで休憩をとる路線だった。予約制でなかったのは路線バス同様に整理券方式を採用していたからで、わざわざ事前に購入しなくてもその場で現金払いできたようだ。どうりで乗車券発売場所の記載がなかったのだ。ネットでそのことが分かるようもう少し工夫してほしいものだ。
乗ったら、乗客は15人ほどしかおらず、ほとんどの人が前の方の席を確保したため、後ろ好きの自分はシートを倒し放題だった。

昨日からの疲れがあったせいか、乗車したらすぐに眠りについてしまい、気が付いたら鹿児島空港に着く直前だった。鹿児島空港からは2人が乗車した。(この2人、自分が下りる宮交シティまで乗車していて、鹿児島空港経由で宮崎方面に行く乗客は確かにいるようだった。)
バスは高速上にある鹿児島空港南にも停車。昨日の深夜に調べた場所だ。こんな山の中のバス停から利用する人がいるのかと思って見てみたら、大きなバッグを持った明らかに飛行機降りた感じの人が2人バス待ちしているのが見えた。やはり利用者はあるようだ。
バスは鹿児島空港南を出てふたたび快走をはじめ、それに合わせて自分も眠りに入ってしまった。

次に気が付いたのは霧島SA。せっかく停まったから、出店で菓子を買い、観光バス気分で車内で頬張った。

tour091210.jpg
霧島SAに停車中の特急宮崎行(宮崎交通はまなす号)。九州は各県間の高速バスがとても発達していて、周遊旅行がしやすい地域だ。今回乗った宮崎・鹿児島間も例外ではなく、寝てればあっという間に目的地だ。

車内で菓子を食べおわったらまた眠気が襲ってきてしまい、ほどなくして眠ってしまった。

はっと気が付いたら、すでにバスは高速を下り、市街地の一般道を走行していた。
自分は終点の宮崎駅ではなく、少し手前の宮交シティで下りようとしていたからやや焦ってしまった。表示を見ると次が宮交シティだ。「次停まります」の表示が出ていなかったので、下車ボタンを急いで押したら、すぐに「まもなく〜」の案内放送が流れた。あと少し遅かったら乗り越すところだった。
宮交シティには時間キッカリに到着。ギリギリまで下車ボタンが押されていなかったのだから下りるのは自分だけだと思ったら、なんと5人ほどが一斉に立ち上がった。下りるんならボタンを押していてもらいたいものだ。

宮交シティは南宮崎駅近くにある。ここからは、田吉地区までバスか電車で行き、そこから空港の北西側をまわって宮崎空港ターミナルに行くことにしていた。
だが、調べてはみたものの、バスの路線がどのあたりを通るのかよく分からなかったので、一駅電車に乗って行くことにした。

南宮崎は日豊本線と日南線が分岐する駅で、町並みも都会だ。ところが駅自体はキオスク程度しかないローカル駅。質が悪いのは、改札が二階にあるのに階段しかないところで、切符の自販機も故障中で使えず、なんとも寂れた感じだ。着いたらちょうど電車が行った直後で自販機以外何にもない待合室で30分も待つ羽目になってしまった。宮崎空港へは南宮崎の隣の田吉から分岐線になる。田吉までは空港行も日南方面行も使えるのだが、たまたま便が少ない時間にあたってしまったようだ。こんなんだったら素直にバスを使ったほうが早かったかもしれない。
乗った電車は日南線のワンマン2両の電車。田吉は無人駅で、運転手に切符を渡して下車した。

→家に帰ってから調べてみたら、宮交シティから田吉地区までは複数の系統が通っていたようで、10分に1本程度ポンポン走っていた(宮崎空港行も30分に1本程度出ている)。わざわざ歩いて南宮崎駅に行く必要はなかったわけだ。


軍港時代の遺構が多数残る空港
田吉からターミナルは直線だと1キロ程度しか離れておらず、飛行機ファンの撮影地として知られる滑走路西端も近い。駅から見ると、南東方向に空港のターミナルと駐機中の飛行機が見える位置だ。
駅からすぐに南下しても良かったのだが、旧滑走路が駅の東方にあるそうなので、駅からまずは東進して旧滑走路跡をかすめて南下するつもりでいた。

田吉駅周辺は一帯が農地で、広々とした景観が広がっていた。しばらく進んだら、右前方に小さな掩体壕が2つ見えた。山内川を渡った先が旧滑走路跡地なのだが、現在は調整池を兼ねる運動場になっていた。
ここで南に向きを変え、山内川沿いを南下。一ツ葉道路をくぐったら、今度は左側に大きな掩体壕が3つも目に入った。さすがにこれはすごい量だ。現役の空港でここまで残っているのも珍しいだろう。

→空港周囲に掩体壕が残っている飛行場は結構あるようなのだが、現役使用の空港だと結構多く残っている方だろう。旅行後ネットで調べたら、この空港の場合、空港地域の南方にもいくつか壕が残っているそうな。だいたい空港は軍港時代に比べ大きくなるか周辺に工場などが集まってくることが多く、壕も邪魔になって撤去されることが多いのだけれでも、宮崎の場合は、軍港時代に比べてむしろ区域が小さくなっている(海側へ展開しているので面積的には広がっているのかな?)うえ、北西方面は工場立地も少ないせいかたくさん掩体壕が残っているようだ。

驚きを隠せないまま、川沿いを南下して、航空ファンに有名なスポットである滑走路西端に到着。公園というような書き方をしているサイトもあったのだけれども、ここは単なる川沿いの空き地だった。空き地を過ぎた後、滑走路南西端に来たら、ここには日本軍基地時代の門柱も残され、そのわきに慰霊碑が建てられていた。
門柱がある滑走路南西付近は、旧空港ターミナル地区。現在は貨物ターミナルとして活用されている。宮崎空港はメインの正面入口付近には空港名の入った碑などはないのだが、貨物ターミナル入口付近に「宮崎空港」と書かれた看板が設置されていた。

tour091222.jpg
残存している日本軍基地時代の門柱。現地の看板によれば、この門柱は、「昭和18年12月1日赤江海軍練習航空隊発足時に設置されたもの」と伝えられているものだそうだ。写真には写っていないが、左側に慰霊碑がある。空港は写真右側にわずかに写るフェンスの右手前側に広がっていて、この写真は空港区域側から撮ったもの。奥に立派な道路が見えるが、この先は行き止まりで、すでにこの門中は空港の入口としてほとんど役目は無くなってしまっている。


見事に空港の戦略にはまってしまい、、、
貨物ターミナル地区からはほんの数分、旅客ターミナルには16時半過ぎに着いた。
まずは窓口に行き、座席の変更手続。予約時に指定できない出来るだけうしろの窓側を指定したかったのだが、今指定している真ん中らへんの席より後ろはいっぱいだという。
最終便とは言え、今日は月曜日。「修学旅行か何かで混んでるの?」と尋ねたら、昨日行われた青島マラソン帰りの客でかなり混んでいるという。
これは想定外の事態だ。混んでる時に窓側だと動きがとれずイヤなので、仕方なく通路側に変更してもらった。こういう時こそ臨時増便をしてほしい。

さて、座席指定も済んだし、あとは空港内見学だ。この空港は、日本のなかで一番装飾が多い空港だろう。
南国チックな雰囲気が特徴で、この日は館内はクリスマス一色。中央の広場はかなり大規模に装飾が施されていた。そんな雰囲気だから観光地空港な感じがするのだけど、実際には宮崎市市街地に近い都会空港。九州では福岡や那覇とともに便利な空港として知られていて、ビジネスでも使いやすそうだ。
そんな広場で見学してたら、ちょうど17時で、名物のカラクリ時計が作動。しばし楽しむことができた。

宮崎は2年前に訪問した時と乗り入れ会社に変化はなく、ほとんど違いがない。それでも今回鹿児島からわざわざ宮崎に来たのは理由がある。それはショッピングバッグを手に入れるためだった。
宮崎は、ショッピングバッグをこの夏に一新。それを手に入れるため、来ざるを得なくなったというわけなのだ。
実はこれは宮崎空港ターミナルの集客戦略の一環で、無料でもらえるバッグを一新しただけでなく、流行のエコバッグやクールなデザインのクールバッグの販売も開始し、なんと空港バッグをブランド化してしまった。まあ、一部の濃いマニアを除けば狙って買う人などいないだろうから、それほど効果があるものとは思えないのだけれども、空港オリジナルグッズは飛行機がかかれた子供向けものが多い中、今回のバッグは大人向けで、思わず購入したくなる逸品なのだ。このバッグで土産を渡そうと思い、空港で買い物する人が増えればターミナルの戦略勝ちだろう。
で、自分はというと、バッグを手に入れるために必要ない土産(宮崎ほとんど来てないのに!)も購入。空港の戦略に見事にはめられた形となってしまった

宮崎からの最終便は18時すぎとやや早めだ。土産を買って、館内を軽く見てまわったらもう時間。そそくさと搭乗口へと進み、あっという間に搭乗時刻となってしまった。
飛行機はなんと満席で、イベントの集客力を改めて思いしらされた。少し早めの改札開始もあってほぼ時間通りの運航で問題なかったものの、こういう時はチンタラする奴がいるものだから、ホッとひと安心だった。

羽田では20時少し前にスポットインする時間通りの運航だった。こんなに早く羽田に着いたのは久々で少し見学していくことも考えていたが、疲れた体は言うことを聞かず、まっすぐ自宅へと帰宅したのだった。

tour091223.jpg
クリスマス装飾がきれいな宮崎空港の中央広場。





■ここまでの教訓!

[枕崎]チャーターはなかなか飛ばせない!←高くてよければ鹿児島から回送してもらってください
[枕崎]鹿児島へは下道が便利!←知覧にも寄れます
鴨池地区はまだまだ開発中!←高い建物がたくさん建ってます
[宮崎]軍港時代の遺構多数!←時間があればぜひ見学を
飛行機予約前に周辺イベントがないか確かめよう←メチャクチャ混んでる場合も




■今日の旅程

12/12
道の駅いぶすき 07:30(レンタカー)→08:15 [枕崎飛行場]
[枕崎飛行場] 09:00(レンタカー)→10:30 旧鹿児島空港(鴨池空港)跡地
旧鹿児島空港 11:45(レンタカー)→12:10 鹿児島中央駅
鹿児島中央駅 12:31(宮崎交通バス はまゆう号)→15:09 宮交シティ
宮交シティ  15:20(徒歩)→ 南宮崎駅 15:52(JR日南線)→15:56田吉駅
JR田吉駅   16:00(徒歩)→ 16:45 [宮崎空港]
[宮崎空港]  18:25(JAL1892便)→19:55 [東京国際空港]
[東京国際空港] 20:30(京急線)→自宅


予定旅程
道の駅いぶすき(レンタカー)→[枕崎飛行場]→旧鹿児島空港跡地→12:30鹿児島中央駅12:31(宮崎交通バス はまゆう号)→15:09宮交シティ(宮崎交通バスかJR日南線)→田吉→[宮崎空港]18:25(JAL1892便)→19:55[東京国際空港]20:30(京急線)→自宅


posted by johokotu at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆旅行記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック