2010年05月23日

東の端を視察へ(2日目)

■2010.05.23 中標津・釧路・東京国際

やっぱり雨もやの道東
一泊二日のやや強行軍旅行。二日目は、まず一般日本人が行ける最東端納沙布岬へ。根室の飛行場跡をまわったあと、標津飛行場跡地をまわりつつ中標津空港へ向かい、最後に計根別の飛行場群跡を見て釧路に戻ることにしていた。
搭乗を予定していた釧路発の最終便は20時20分発とやや遅め。12時間ぐらいは時間があるから、4時間程度以上余ったら初日に行けなかった大樹町航空公園か豊頃飛行場、それ未満の余り時間なら釧路市内の愛国飛行場跡地に寄ることにした。

外が明るくなる4時くらいには起きようと思っていたものの、ベッドが心地良かったせいか目がさめたらすでに6時。そそくさと準備を整えて7時前に釧路を出た。

今日は、昨日変わった天気予報が見事に当たり「雨」だった。前回釧路に来たときは晴れなのに霧に悩まされたが、今回は雨によるもやで視界があまりよくない。道東は昨年の訪問に引き続き雨もやで、なかなかスカッとしてくれない土地のようだ。

釧路を出てからはひたすら国道44号線(根釧国道)を東進して根室を目指した。
釧路から根室までは約120キロで、信号の少ない北海道だから2時間強で行ける距離だったが、途中で強い眠気が襲ってきてしまい、ほぼ中間点に当たる道の駅厚岸グルメパークで1時間も寝る羽目になってしまった。

結局、根室の少し手前、カニで有名な花咲港付近に着いたのは10時前だった。雨は根室に入るころにはやみ、視界は少しずつ良くなってきていた。
事前の調査ではこの花咲に日本軍基地があったという情報を入手していた。ウィキペディアによれば「オワッタラウス」というところにあったらしい。しかしネット地図上では、グーグルもgooもヤフーもこのオワッタラウスという地名がヒットしなかった。グーグルマップで見る限りでも花咲港付近に滑走路跡らしきものは見えず、どこにあるのかはよく分かっていなかった。ただ空撮写真を見ると港の北側に直線的な空間があったので、とりあえず現場に行って確認してみることにしていた。

温根湯で国道から離れて西和田まで南進後、道道142号線を少し東進。花咲駅手前から南へ折れ、北側から花咲港へ向かう形で砂利道へと入った。グーグルマップの写真ではこの砂利道の左側に直線的な空間が見られたのだが、目星を付けていた場所はなんと崖で、飛行場などありそうな場所ではなかった。粗い上空写真では判別できず、やはり地形図を手に入れるべきなのだろう。

結局何も発見できず、落胆したまま港側へと下りた。


歴史を探って尋ねてみたが、、、
花咲港はカニの時期でないのか、漁する時間でないのか、非常に閑散としていて、カニ料理屋もまだ開店前で寄れそうな場所もない。
仕方がないから「さっさと納沙布岬に行くか」と東側に目をやったら、礼文みたいに平らそうな丘が見えた。カーナビを探ると丘の上には根室市歴史と自然の資料館があるらしい。ちょうど花咲にある歴史館だし、歴史に関する飛行場跡地のことも何か聞けるかもしれないと行ってみることにした。

資料館は平らな高台の上にあるレンガ造りの古い建物だった。研究施設の一部を資料庫として公開している感じで、公開はどちらかというとおまけ的。雑然と物が置かれているスペースもあるなど、公開館としては首を傾げたくなる部分もあったものの、入場無料だから問題ない。小さいながらも展示品はかなり充実していて、動物の剥製や北方領土に関する品々、関連書物の展示が多数あった。
これは期待できそうと、館員に飛行場のことを尋ねたのだが、この後行こうと思っていた牧の内の飛行場跡以外知らないと言う(資料館の展示に牧の内の飛行場跡の上空写真が飾られている)。ちょうどそういうことに詳しい人が休みとのことで、期待していた情報はこれといって得られなかった。

残念ながら地元密着情報はNG

図書館に行けば情報があるかと、根室駅前付近へと向かったら、駅前に観光案内所があるとの標識が見えた。学芸員はいないが観光案内所なら地元情報はピカ一のはず。「これならいけるかも」と、図書館よりも先に、根室駅見学のついでに話を聞きに行ってみた。
ところが、やっぱりここでも牧の内以外は聞いたことがないと言われてしまった

かなり手づまりな印象。
それでもだめもとでオワッタラウスというところらしいと告げてみたら、さっき行った歴史館に近い海岸線が「ワッタラウス」と言うと教えてくれた。

これは朗報だ。

確か資料館から根室駅前まで来る途中、道の右側に広大な平地があり、通信施設のようなものが立っている場所があった。この平地付近の海岸線をまさにワッタラウスと言うらしい。現地に行けば何か分かるかもしれないので、納沙布岬へ行った帰りに寄ることにして観光案内所を出た。

根室駅を出る頃はもう12時前で、図書館に寄っている暇はない。
先を急ぐことにし、日本最東端駅の東根室駅、元日本最東端駅の歯舞駅跡地、日本人が普通に行ける日本最東端港の歯舞漁港に寄りながら納沙布岬へと向かった。

tour201005o.jpg
東の端の港なのだが、そのことであまり注目されることがない歯舞漁港。ロシア側が密漁だなどと言って漁船を追いかけまわすとき、漁船の母港はだいたい歯舞漁港である。漁港自体は3つあるようで、写真の漁港は最も東に位置する歯舞漁港(珸瑶瑁地区)である。すぐ目の前の納沙布岬の平和の塔ですら霞んでしまうほど視界が良くなかった。(ちなみに珸瑶瑁はごようまいと読む。)


納沙布岬は日本人が普通に行ける日本最東端だが、本来の最東端は南鳥島だし、北方領土問題に密接に関わる土地だけに最東端をあまり前面には出していなかった。たとえば、北方館で発行している到達の証明書は北方領土視察証明書で、最東端証明書ではない、といった具合だ。

ややもやっていて遠方はあまり見えない天気。北方領土は見えないだろうと思っていたら、よく見るとかなりうっすらとではあるものの歯舞群島が見える。海が白く波立っている部分があり、水晶島か秋勇留島のようだ。驚いたのは海峡に、日本の巡視船とロシアの監視船とみられる船が数隻見えたことで、こんなに近くに見えるのに驚くとともに、一触即発の領土問題の深刻さを実感できた。
ただ、北方領土への関心は低いのか、観光客は来ていたものの、飲食店に寄るのがメインで、北方館も展望台がある平和の塔も見学者が誰もいなかった。平和の塔は入場料を900円もとられるのだが、一階に地元高校生による手書きの調査リポートが展示されているだけで、二階にはおばけ屋敷風のレジャー設備がある始末。入口の受付では「今日はもやで展望台に登っても北方領土は見えませんよ」とまるでやる気がないのが見て取れたのはいただけなかった。

※北方領土問題で日本はロシアに対し、択捉、国後、色丹の三島と歯舞群島を合わせた4島返還を求めている。日本人なら誰でも知っている問題だろう。今回納沙布岬で手に入れた政府発行の冊子で初めて知ったのだが、四島はいずれも戦後直後にロシアに不法占拠された過去を持つのだそうだ(てっきり終戦直前のロシア参戦〜終戦日までの1週間で占領したもんだと思っていた)。終戦後の外国の統治下に入った際、千島列島はロシア支配下となったわけなのだが、それが返還されずにそのまま占領されてしまったというわけ。言ってみれば、沖縄をアメリカに取られたままの状態と同じというわけだ(というより不法占拠だからそれよりもたちが悪い)。そりゃあ今すぐにでも返してもらわねばならない列島だ。北方領土については政府の広報が詳しいからそれを参考にされたい。

tour201005i.jpg
平和の塔の展望台から見た納沙布岬周辺。もやった天気ではあったものの、よ〜く目を凝らすとうす〜く歯舞群島が見えた(写真では見えません)。特に目を引いたのは最も近い位置にある日本軍が建てたという貝殻島の灯台だった。ちなみに写真中央下に写っている駐車場は無料です。


根室の旧軍飛行場はいろんなものが眠ろうて
納沙布岬で日本最東給油をしようと企んでいたのだが、岬近くのスタンドは閉鎖されていて実現できず。結局、そのまま岬をあとにし、根室半島中程にある牧の内の飛行場(海軍根室第二飛行場)跡へと向かった。

飛行場までは岬から10キロ強で10分強で到着した。
この飛行場はグーグルマップでも滑走路跡がくっきりと分かる有名遺産だ。戦後の武装解除の際、米軍が破壊をしたらしいのだが、なんでかきれいに柵状に破壊していて、滑走路面が数メートル間隔で非常に美しく残っている。平行して走る道道から見ると近すぎてきれいに見えないのだが、滑走路、緑地、滑走路、緑地、、、と交互に滑走路が残るのは分かる。そんな形で残った滑走路面は地元漁師の網の干し場と化していた。

周辺にはいくつか掩体壕が残っていて、滑走路周辺の砂利道をぐるぐるまわりながら見学した。
帰ってからネットサーフィンしてみたら、全部で36基あった掩体壕は現在7基程度が残っているそうだ。自分もいくつか掩体壕を見つけたが、結構ぱっと見てわかる位置にゴロゴロ残っている。滑走路の北東方には無蓋のものが多数あった模様。訪問前によく調べなかったせいで現場を見にいかなかったのだが、グーグルマップを見てみると道は残っているようで少し残念なことをしてしまった。


牧の内で滑走路と掩体壕が見れたあと、いよいよワッタラウスへと向かった。ワッタラウスには旧海軍の根室第一飛行場があったという。

ワッタラウス付近は道道の南側に道に沿って根室本線が走る。道道から線路の南側へ渡るには踏切が2か所しかなく、一つは車だと行きにくそうだった。結局唯一渡れる踏切を渡ることにし、道道から左折して自動車試験場踏切と称する踏切を渡った。
渡った先には数件の建物があるところだが、道路は未舗装。いまは雨が降っていないものの、かなりドデカい水溜まりが多く、非常に走りにくい一帯だった。滑走路跡でも残っているかと期待していったものの、道路以外は一面牧草地。ワッタラウスという小さな湾へ向かう道はぬかるんだ悪路なうえ、道の上を海鳥たちが占拠していて、結局、踏切から少し進んだだけで引き返すことになってしまった。

戻る途中で右に曲がる小道があったので行ってみたら、行きに気になっていた通信施設へとつながる道だった。
道に曲がる直前、右側の草原内に旧軍施設のような古い建物があり、なんとなく期待が高まっていたのだが、通信施設に行く途中の道脇でなんと「海軍用」と書かれた小さな石柱を発見。さらに進んで施設に近づくと、通信施設は防衛省のものだった

これはほぼビンゴで、探していた飛行場はここにあったことは確実なよう。根室はまさに旧軍飛行場の夢の跡がネムロっている都市だった。

ただ道は通信施設で行き止まりになっていて、これ以上探索できそうなところはない。なにより辺り一面が柵でかこまれた牧草地で地表もあまり見えず、ここで調査を断念。引き返して先を急ぐことにした。
ここで車を見たら、泥のはねあげで側面がどろどろ。このまま返したら清掃代を請求されそうなぐらい汚い。この後、車を走らせながらどうきれいにするか頭を悩ますことになってしまった。

※東京に帰ってからネットで少し良く調べてみたものの、根室第二飛行場についてはさまざまなレポートがあるものの、根室第一飛行場について記載したページはほとんど見つけることができなかった。
千歳市史(→リンク)によれば、世界一周機ニッポン号が当初始発地点として想定していたのがこの飛行場だったようだ。また、「根室よいと〜こ〜一度わぁおいで♪」(→リンク)によれば、根室支庁の応接室に飾られている吉田初三郎が書いた昭和11年の鳥瞰図に絵が載っているそうだ。
極めつけは、最初に訪問した根室市歴史と自然の資料館。なんとこの資料館のレンガ建物は「昭和17年建設の大湊海軍通信隊根室分遣所」だったそうな!!!!!。まさに探し求めていた飛行場の中の一つの建物。こんな建物の中で働いている歴史家にすら知られていない飛行場だったというトホホな話でありましたとさ、、、。(写真も撮らなかったよ、、、)
なお、ワッタラウスという地名は、ジュンク堂書店で売っていた「北海道海岸線地名めぐりの旅」という本で調べてみたら、ヲワッタラウスとして記載があった。しりとりできちゃうじゃん!(この地図の海岸線には多良間島の海岸線のように海岸の名称が延々書かれている)


tour201005j.jpg
ついに見つけた海軍施設の残骸。「海軍用」とははっきりと言ってくれる石柱だ。


地図は海軍用の石柱のあった位置。この周辺一帯は広大な牧草地帯となっている。(有刺鉄線が張られていて当然部外者は入れません)写真道路を上に進み、しばらく進んだ先のT字路を右上に進んだ先にあるのが防衛省の通信施設。中心点の真下にある小さな四角はかなり古〜い建物(勝手に旧軍施設と思っている、小さな倉庫か何か?)だった。


なんだかすっきりしない道東
さて、ワッタラウスを出た後は、国道44号、国道243号、国道244号(野付国道)とわたり、一気に北上して標津町へと向かった。
飛行場跡の見学でチンタラしていたものだから、厚床に達した時点で時刻はすでに14時すぎ。できるだけ急いで標津の飛行場跡へと進む必要があり、信号がほとんどない道なので快走を続けた。

雨は降っていないのだが、空には雲が広がったままで、眺望は良くない。国道244号線は、晴れていればオホーツク海沿いの見事な景色が広がるらしいのだが、北方領土はおろか日本最大の砂州である野付崎もあまりよくは見えなかった。
唯一良かったのは、途中で道を走るキタキツネに出会ったことで、思わず路肩に車を停めてながめてしまった。旅行先で野生生物に会うのは、徳島剣山山頂近くと屋久島で出会ったシカぐらいで、それだけ自然が豊かな証拠なのだろう。

tour201005k.jpg
風蓮川近くで見かけた野生のキタキツネ。車を路肩に寄せて止めても気にする様子もなくテクテク歩いていた。


向かった標津第二飛行場跡地は、旧標津第一飛行場である中標津空港とセットになった飛行場だ。
オホーツク海沿いの国道244号線で向かった場合、標津町中心部を通り過ぎて少し北上したあと、伊茶仁で斜めに左折。3キロほど車を山側へ走らせ、道道774号線で左折しさらに2キロ程走ったところに滑走路跡がある。

伊茶仁で左折し海岸から少し離れたら、急に空が暗くなりついに降雨。あっという間にワイパーを二段階にあげなければならいほどの本降りになった。ここまで200キロ程降雨がなかったのに、飛行場跡地まであと数キロ地点で雨、しかも本降りが始まるとはついていない。
「まずいな〜」と思いながら車を走らせたのだが、飛行場跡地に着いたときにはもう霧雨に戻っていた。

昨日から降ったり止んだり変わりやすい天気だ。

滑走路跡地は、川北という地区にあり、川北基地とも言うらしい。現地には案内看板も立っていて、アクセスはしやすい場所だった。
案内看板が立っているのは滑走路の少し北側で、無蓋掩体壕が四つある場所にある。滑走路位置以外の事前知識がなく、まさにふらふら来た感じだが、案内看板によれば、いま標津町中心部からぐるり回ってきた一帯のほとんどが基地敷地だったそうな。かなり広い範囲で軽く10キロ四方は超えるのではないかと思えるぐらい広大。現在は大部分が農地となり、格子状に広がっている。で、今いる場所に局所的に滑走路と壕が残っているようなのだが、なぜかそれら飛行場跡地の残骸がある辺りだけは雑木林であまり良く見えない状態だった。
軽く撮影したあと、見えないものをいつまでも見ていても仕方がないので、すぐに現場を発ち、中標津空港へと向かった。

tour201005l.jpg
飛行場跡地の看板がある目の前の通り(町道川北北7号線)は、メロディーロードと呼ばれる特殊舗装が施された道路になっている。なんと♪マークの入った道路標識も存在。時速60キロで走ると知床旅情が聞こえるそうです(残念ながら聞き取れず)。


標津第二飛行場跡地から中標津空港までは約15分ほどだった。
カーナビ通り行かず、滑走路直前で右に折れ、空港を反時計回りにぐるりまわって周辺状況を見て回った。ターミナルの反対側は、ほとんど車の通りのない道が面して開けていて撮影にはもってこいだったが、この空港の場合、デッキから知床の山々が見えて眺めが抜群だから、こっちから撮影する人は少なそうだ。掩体壕でもないものかとキョロキョロしながらターミナルへ向かったのだが、それらしきものは見ることができなかった(実際には残っていたものがあった模様。地図で見ると誘導路もわずかに残っている)。

根室中標津空港に前回来たのは平成18年初夏。当時はターミナルの増築工事の真っ最中でデッキは閉鎖中だった。今回はそのリベンジと増築部の調査を兼ねての再訪問。訪問数か月後には完成していたのだが、なかなか来る機会がなく、やっと来れた次第というわけだ。

このターミナルの一番の特徴は木材を前面に出した点なのだが、増築部はあまり木材が目立たない感じになってしまっていた。当初からある範囲は出発ビル化されていて、手荷物検査場があったところに有料待合室ができ、二階ロビーを拡張。新区域は二階に店舗、一階に到着施設ができた。店舗は面積は広がったものの、ANA FESTAが撤退して売店二店舗、飲食店一店舗体制となっていた。飲食店は普通のラインナップだったが、売店には空港限定のストラップや酒も販売されていた(空弁は未確認)。
で、肝心のデッキ。新ビル側に完成していた。前回は残念な事態だったから、今回こそはきれいな写真を撮りたかったのだが、今回は天気が悪く、正面に見えるという知床の山々は見えずじまい。今の時期は雪の融け加減により狐の形が山肌に見える珍しい風景を楽しめるらしいのだが、それも確認はできなかった。


最後はMD81で
中標津空港を出たあと、旧標津線からあったという引込線を少し探索したかったのだが、もう17時で時間があまりない。このあと計根別の飛行場跡地を確実に回りたかったので引込線はあきらめ、真っすぐ別海町計根別へ向かった。

根室中標津空港から計根別までは20キロも離れていない位置にある。
それにしても旧日本軍はずいぶんと近い箇所にポンポン飛行場を造ったものだ。
計根別の飛行場はその中でもスケールが大きく、全部で5つの滑走路が10キロ四方程度の場所に点在していたというから驚きだ(この土地の南西に位置する自衛隊の矢臼別演習場の広さにはかなわないけど、、、)。唯一残っているのが航空自衛隊の飛行場で、もともと第四飛行場として使用されたものだという(戦後一時期西春別飛行場として民間機が飛んでいた時期があった)。

第一飛行場の跡地の一部を利用して別海フライトパークという飛行場がある。せっかくだから見ておこうと向かったのだが、なんとすでに閉店していて飛行機すら見ることができなかった。
ただ、周囲は飛行場跡地の残骸が点在。掩体壕がいくつも見られたほか、建物の壁面などが残っていた。

tour201005m.jpg
計根別飛行場跡地で見られた掩体壕の一つ。跡地は、広範囲が草原地帯となっているが、そのなかに飛行場の残骸が点在していて不思議な光景だ。

別海フライトパークからは、標津線の上春別駅跡地などを見てぐるり飛行場跡地周辺を探索し、そそくさと釧路へ進路をとった。
標茶へ抜ける途中で再び降りだした雨は釧路へ近づくにつれ本降りになり、釧路湿原が見えた頃には暗さも加わって視界があまり良くない状態になっていた。

泥まみれの車をどう掃除するか頭を悩ましていたのだが、釧路に着いてレンタカー屋から指定されたガソリンスタンドに寄ったときには、ラッキーなことに雨ですっきりきれいに洗い流されていた。


帰りの飛行機は羽田からの到着が遅れ、約10分遅れでの出発となった。いつものことだが、最終便だから少し早めの放送が入った。真ん中座席も大部分が埋まるほどの混雑だったのだが、動き出しは変更時刻よりやや早めだった。
乗った機種は、はからずもMD81だった。機内に入ってから、退役がまもなくであることを思い出した。いつもなら機内はあまり撮影をしないのだが、いまのうちに撮っておこうと、今回は飛行中もパシャパシャ写真を撮った。満席に近くフラッシュがたけないので、ブレブレしてしまい、何度も撮り直す羽目になったが、これも御愛嬌といったところだろうか。
まあ、まわりから見たら変な奴だと思われてるんだろうけど。それにしても、満席に近い機内でカメラで撮影するとは、かなり困った客だったに違いない。

そんな機材だったせいか、機内では疲れているはずなのにあまり眠れなかった。

tour201005n.jpg
久々に乗ったマクドネルダグラスMD81型機。日本エアシステムから移籍してきたJALにとっては古い機体で、今年度中の退役をするとうわさされている機体だ。JAS時代の赤青椅子が目が引くし、なによりトイレ周りの茶系の壁は上品だ。

羽田には6分遅れの22時11分に着陸。当然店が開いている時間帯ではなく、100年スタンプを押したらさっさと帰ろうと思っていた。

ところが、、、。

羽田のスタンプは1ビルは2階の案内所にしかなく、出発便がほとんど終わったこの時間は案内所が閉鎖されてスタンプも片付けられてしまっていた
道の駅スタンプラリーじゃあるまいし、開館中にスタンプが押せないことは想定外だ。
開いていた地下の案内所で聞いたら2ビル地下の案内所なら置いているとのことで、重い荷物を抱えて2ビルへと進んだ。

で着いたら案内所にスタンプがない。
話を聞いたら閉店間際ですでにカウンター下に片付けたあと。出してもらって押すことができたが、もう少し遅い時間だったら押すこともできなかっただろう。

こうして今回も空港訪問を無事終了した。
それにしても、今年に入って回数は減らしたものの、さすがに金がなくなってきた。純粋に行けていない残りの空港は新島、三宅島、隠岐、波照間の4つ。これ以外にも新造された徳島、米子にもまだ行ってないし、路線廃止前に広島西と小牧には顔を出したい。これらにいかにして行くか今後も頭を悩ますことになりそうだ。




■今日の教訓!

根室の歴史は難しい←知っている人に出会いたいです。
納沙布岬は最東端、ではありません←他所に比べると盛り上がりに欠ける四端のひとつです
北方領土はすぐそこに見える←日本人としてぜひ視察へ
道東はなかなか晴れない←数日滞在して晴れの日を待つのも手




■今回の旅程


05/23
宿(レンタカー)→根室市観光(納沙布岬など)→[根室中標津空港]→19:00[たんちょう釧路空港]20:20(JAL1148便)→22:05[東京国際空港]22:30(京急線等)→自宅
(スカイレンタカー)

※時間がかなり夜にずれ込んだものの、ほぼ予定通りの行程。


posted by johokotu at 06:00| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ◆旅行記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先日はご訪問いただき、貴重な情報を教えてくださりありがとうございました。m(_ _)m
「海軍用」の石柱、自力で発見されたのですね。
根気強さと探索能力の高さに脱帽です。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
Posted by とり at 2010年09月30日 06:41
こんばんは。
書き込みありがとうございます。

石柱ですが、たまたま空中写真で右側に伸びる道路道路を撮影しようと踏み台にしようとしたものでして、、、(苦笑)。
国道から見えた通信施設が気になったので、たまたま行ったときに目に入っただけです。
境界を表すものであれば、道路が当時のままという可能性も高いので、ちょっと興奮してしまいました。

今後ともよろしくお願いします。
Posted by johokotu at 2010年10月02日 02:49
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック