■2010.12.19 新石垣→石垣→那覇→東京国際
図書館の時間に合わせて無駄足、、、
今日は8時の開店と同時にレンタカーを借り、17時半頃まで石垣島を一周する予定でいた。主要観光地には寄りつつ、旧軍飛行場跡地や新空港の見学台を訪問することにしていたのだ。ただ、島内に四つあるという旧軍飛行場跡地は、現空港である平得以外は位置がよく分からない。これについては10時に開くという図書館で調べてみることにした。
そんな中で前日石垣の中心市街地を歩いていたら、「第3回新石垣空港整備事業現場見学会」の開催告知を見つけた。なんと、今日の13時から新石垣空港建設地の現場見学会があるというのだ。これを逃すわけにはいかず、時間に合わせて訪問することに決定した。
相部屋だったので目覚ましをかけなかったのだが、6時には目覚めた。旅行に行くとだいたい疲れ果てて朝は起きれないものだけれど、非常に珍しい出来事。いびきをかいて寝ている同室者を起こさないよう静かに準備を済ませた。
レンタカーを借りる場所は歩いて15分ほどのところだったので、7時半には宿を出発。港の朝の様子を眺めつつ向かったら、レンタカー屋には8時少し過ぎに着いた。
石垣島内のドライブは、時計回りに石垣市街地→エメラルドの海をみる展望台から空港撮影→川平湾→平久保崎→新空港→白保など旧軍飛行場→石垣市街地という回り方がベストだ。だが、10時に開館する図書館に寄ってから旧軍飛行場に行きたかったし、新空港の見学会は13時から。エメラルドの海をみる展望台は空港の北西方向に当たり午前に行くと逆光になってしまい都合が悪い。
そこでまずは西海岸を回りつつ川平湾をまず訪問。川平湾からいったん石垣市街地に戻って図書館に行き旧飛行場の場所を調べたあと、石垣空港近くの掩体濠、宮良飛行場跡、白保飛行場跡と回り、13時に新飛行場に着くよう行くことにした。で、見学後はそのまま北端の平久保崎に向かい、帰り際に平喜名飛行場跡とバンナ森林公園(エメラルドの海をみる展望台)に寄る、やや無駄の多い経路でまわることにした。
離島ターミナル内の掲示板に掲示されていた現場見学会の告知。地元の関心も高いのだろうか、、、。
西の岬をぐるぐる
車を借りたらまずは市街地から西進、観音崎に寄ったのち、名蔵湾から御神崎を回って、石垣一美しい湾と言われる川平湾に向かった。今日は朝のうち雲が出ていたものの徐々に晴れてきてとにかく暑い。窓を全開にして走った。
名蔵湾周辺は名蔵アンパルという湿地帯になっていて、ラムサール条約の登録地になっているそうだ。観光案内ではあまり触れられていないスポットだが、そんなスポットが条約登録地になっているというのは少しうれしい。自分が小学生の時は釧路ぐらいしかなかった同条約登録地も結構数が増えているようで、そんな中で日本最南端、最西端の条約登録地であるわけだ。
実は時間を読むために午前中は川平湾ではなく、市街地から最も遠くにある平久保崎に先に行っておきたかったのだが、宿の人によれば川平湾は午後になるとグラスボートで砂が巻き上げられて色が悪くなるから午前に行くといいと言われていたため、先に川平湾に行くことにしていた。
川平湾に着いたのは10時少し前。色々と寄り道をしていたせいで、市街地から1時間以上経過してしまっていた。
石垣一美しいと言われる川平湾。この時間はまだ観光客はまばらで、きれいな状態のまま景色を眺めることができた。
ここからは石垣市中心街までとんぼ帰り。30分ほど車を走らせて宿近くの図書館に行った。
石垣市立図書館は昨日泊まった宿のすぐそばにある。平日なら19時まで開館しているらしいのだが、昨日は17時閉館だったから寄ることはできず、無駄に行ったり来たりを繰り返す羽目になってしまった。
館内では、地域資料コーナーを物色。石垣市では毎年戦跡めぐりをしているようで資料も残っていて、宮良秘匿飛行場以外の飛行場についてはだいたいの位置が判明できた。
三振とファウルチップ
ここからは本格的に旧飛行場の探索だ。11時半すぎには図書館を出て現空港へ。変更がないかチェックしたあと軽い昼飯をとった。
空港は軽く見た程度で、まずは現空港駐車場のすぐ北側に残存するという掩体壕を探しに出た。この掩体壕についてはほぼ正確な位置図を手に入れていたのだが、現地に着いたらこんもりした林になっていて、サキシマハブが恐くて草を掻き分けて探しに行くことができなかった。
結局掩体壕は早々に断念し、その足で空港南側にあり、滑走路延長を拒んだ貴重なフルスト原遺跡へと向かった。滑走路延長ではなく新空港整備となった最大の原因とも言えるこの遺跡、図書館で見つけた資料によれば、遺跡だけではなく、旧軍の掘った壕もあるらしい。事前の調査では公園が整備されているとネットでヒットしていたので、期待して行ってみたのだが、小さな看板がたっているだけで、ただ崖があるだった。
※家に帰ってから初めて知ったのだが、自分が行った場所は遺跡のある崖の下側だったのだそうだ。実際には遺跡があるのは崖の上で、石積みの城跡などが見られたらしい。ネット上の地図でもこの石積みは見ることができるほどだ。
崖下にあった遺跡の看板。ちょうど横長看板の奥側に日本軍が掘った壕がある。フルスト原遺跡自体は写真の崖の上にある。
名所に2か所連続で空振り。
こうなると次なる訪問先の宮良飛行場跡地に期待だったが、ここは秘匿飛行場だけあって詳しい場所は分からずじまい。潜水艇を隠したという壕は海岸添いにあるようなのだが、そもそも海岸に下りていくことも不可能だった。
赤馬の像がある高台から眺めてみたものの、やっぱりそれっぽいところは発見できなかったのだが、どうもこの像がある高台の下の部分が旧日本軍の壕だったそうだ。
3か所連続の空振りでついに三振してしまった。
落胆したまま続いて白保飛行場跡地へ寄った。
ここは跡地のほぼ全域が牧草地と畑になっていて面影はまったくなかったのだが、滑走路北側にあった小道がほぼ原型を留めていて、だいたいの位置を把握することができた。空振り続きな中、バットにはあたった感じだったが、家に帰ってからよく調べてみたら、曲がった交差点の少し先に掩体壕がいくつか残存していたそうで、ファウルチップのような残念な訪問になってしまった。
白保飛行場跡地からは新石垣空港の誘導灯橋がよく見える。跡地を出て5分もたたずに臨時駐車場に到着した。
旧白保飛行場を滑走路北端付近から南に向かって眺めたところ。このあたりは区画整理がなされていてはっきりとした痕跡は認められない。右側の道路が誘導路の名残のようだ。
にぎわっていた新石垣
旧軍飛行場訪問で時間がかかり、結局、新空港に着いたのは14時前。すでに多くの見学者が来ていてバス待ちの行列もできているほどだった。
見学会は1月からすでに3回目の開催で、石垣住民にとってはたいして珍しくもないんだろうけど、今回は白保竿根田原洞穴遺跡の初公開ということもあり、1000人以上が訪れたのだそうだ。
※新石垣空港は沖縄国体に合わせて建設が推進されていたものの、白保地区に建設しようとして大反対にあい、建設地が二転三転した過去をもつ。もともと現石垣空港の南側に市街地、北側に遺跡があって延長できないことから始まった新空港計画。戦争の記憶がまだ新しい時代に、旧軍飛行場のあった地区に新たな飛行場をつくろうとしたのだから、反対者が多くて当たり前で、結局沖縄国体には間に合わず、計画もカーラ岳東側の海上に変更された。ところがこれも、リーフが壊されると大反対が起きてNGに。
最終的に島内四ヶ所から選択する住民投票が行なわれ、カーラ岳付近の陸上案が採用された。陸上案は買収区域が広くなるデメリットはあるものの、きれいな海を壊す必要がないから自然保護的にはイメージがよい(実際には陸上の自然は変化してるんだけど、、、)し、買収区画の半分くらいはゴルフ場ですでに環境は破壊済だったので、地元の理解も得られやすかったようだ。
見学は、滑走路周辺に4か所設けられたスポットをバスに乗って移動して見学する形式。全部で七台のバスがまわっていて、各スポットでの乗り降り自由にしていた。各スポットでは説明員が詳しい説明をしてくれた。
最初のスポットは、南西側にある誘導灯の橋梁で、約900メートルある橋梁のうち、1スパンだけ橋上を歩くことが可能だった。ここからはさっき見てきた白保飛行場跡地方面の眺めが良かった。
滑走路をバスで走っていった先にある2スポット目は、初公開の白保竿根田原洞穴遺跡。発掘された人骨も公開され、発掘を行った学芸員による説明もあった。現地の説明員によれば、新空港建設地からは白保竿根田原洞穴遺跡以外にも遺跡がいくつか見つかっているそうなのだが、もともとゴルフ場があったためにすでに壊されていたものも多かったのだという。
3スポット目は空洞シェルター見学地。新石垣空港では、空港予定地下に大規模な洞窟が発見されたため、洞窟が崩れても滑走路が陥没しないよう、一度地面を掘ったうえで洞窟の上部にシェルターを設置している。この位置では大型重機も展示されて、実際に乗車できるようになっていた。
最後はビオトープで、空港周辺部の環境をできるだけ変えないようにするため、周辺造成部は緑化などを行っているということだった。
最後は滑走路に埋めるのに使うという砕石にメッセージを描くコーナーがあり、東京人としてのメッセージを残した。いずれのスポットも興味深い眺めを楽しめた。
新空港の見学はエプロンからスタート。バス待ちの列ができていた。
バタバタと最北端へ
新空港を出たらすでに時刻は15時。このあとは約30キロ離れた石垣島最北端の平久保崎に行き、約40キロ戻って17時半には石垣市街に着かなければならない。やや焦りながら車を走らせることになった。
石垣島の北側は細長い半島が延びているような形になっていて、雰囲気はなんとなく奄美大島の北端付近によく似ていた。海は相変わらずきれいな色で、明石などでは左右に海が見える地域もあって快適なドライブだったのだが、とにかく先を急いでいたので、あまり楽しんでいる暇がなかった。
平久保崎には16時前に到着。灯台を見て、多良間が見えないか探したあと、同じ道を折り返した。
※石垣島の道路は最高制限速度が50キロで、信号はあまりないから良いのだが、なかなか急いでまわれないのが実状だ。一方で信号が多い市街地は40キロ制限の道が多く、都内なら普通に見かける30キロ制限の道はあまり見られなかった。
石垣島最北端にある平久保崎。周辺には牧場が広がっているようで、この島に来て初めてテキサスゲートがあった。
平久保崎からはひたすら来た道を逆戻り。
国道390号線になってすぐのところにある玉取崎展望台(眺め抜群!)に寄った以外は、とにかく市街地に向かって南下を続けた。結局カーラ岳の脇を越えて新空港付近の県道211号線の交差点まで約30キロも同じ道の走行だった。
そこから10分程度で着いたのが平喜名飛行場跡地だ。
この跡地は大部分が国際農林水産業研究センター熱帯・島嶼研究拠点となっていて一般人は立入禁止になっている。敷地内に通信施設が残存しているらしいのだが、覗き見ることもできなかった。で、北側の宮良川沿いの崖に日本軍が掘ったという壕があるらしいのだが、こんもりした森に阻まれ、結局見つけることができなかった。
※平喜名飛行場は昭和8年に出来た石垣で最も古い飛行場だ。現在の区画がもともとの区画で、X字型の滑走路があったという。戦時中に拡張され、滑走路は区画から飛び出した状態になり、北西側には掩体壕もいくつか造られたようだ。現地の地形を見てみると、正方形状にある国際農林水産業研究センター熱帯・島嶼研究拠点の南西側は低くなっており、X字型の滑走路では北東-南西間はやや離陸しづらいようにも思える。センター北側の道がかろうじてその痕跡を残しており、北西方向に延びる様子は掩体壕への誘導路のようにも思えるが、滑走路を知るようなものは何もなくなっていた。
国際農林水産業研究センター熱帯・島嶼研究拠点の入口。ちょうど北側中央に位置しており、この両側は防風林のように木で囲まれていて、中の様子を窺うことはできない。
買い物する時間もなく、、、
平喜名飛行場を出たらもう17時。
ここからバンナ森林公園に寄っていくのは結構ギリギリだ。今日は石垣空港が18時半発でレンタカーの返却時間を遅らせるわけにいかないから、かなり焦ってきてしまった。
ただ、なんとしてもバンナ森林公園南入口近くにあるエメラルドの海をみる展望台から石垣空港を眺めたい。多少遅刻することを覚悟しながら平喜名飛行場からバンナ森林公園へと急いだ。
平喜名飛行場からバンナ森林公園へは、北側の入口が近い。ものの5分もかからずに入口に着いたので、やや安心しながら入口からエッチラオッチラ登っていったのだが、中腹に着く所でなんと道が行き止まりになり南側へ抜けることができなくなってしまっていた。
!!!!!
すでに17時半は迫っているのに、来た道を折り返すうえ、バンナ森林公園をぐるり迂回せねばならない。遅刻ができないこっちはパニック寸前だった。
名蔵の交差点へぐるりと回り込んでバンナ森林公園の南口から再登山。結局展望台には17時半に到着した。
ゆっくりしている暇はもはやなく、そそくさと展望台から空港を見た撮影を済ませて、再び車に飛び乗り石垣市街地へ。レンタカー屋に戻ったら17時45分となっていた。幸いすぐに送迎車を出してくれたので18時には空港に着けたが、本当にギリギリの返却になってしまった。
空港では買い物を楽しもうと思っていたのに、この時間は空弁はなく、狙っていた赤のティラミスはすでに閉店後。石垣牛バーガーも当然のように売り切れで買いたいものがない。
ANAの窓口は四人いるのに一つしか開いておらずに荷物預けにも時間がかかり、結局バタバタ搭乗する羽目になってしまった。
石垣→那覇は座席指定は満杯で通路側しか確保できなかったのだが、実際に乗ったら結構空いている。行きは狙って右窓席を取ったのに結局撮影が出来なかったから、今日こそはと意気込んでみたものの、日没は18時少し前だったから、肉眼でかろうじて新石垣を捉えられたぐらいで、結局何も撮影できずじまい。
窓際を取れたのに眺望がなければ意味はなく、機内ではとにかく爆睡で過ごしてしまった。
那覇では1時間30分の乗り継ぎ。買い物する時間があるから、一度預けた手荷物を受け取ることにしていた。同じように荷物を待っていたのは10人もおらず、石垣からの乗客は乗継需要が多いようだった。
那覇でも時間が遅いせいか空弁はほとんどない。沖縄土産は銀座のわしたショップに行けばだいたい手に入るので、島内限定とか空港限定を探すのがひと苦労だった。
で、本屋に寄って立ち読みでもしようとしたら「八重山の戦争」なる本を発見。この本には、今日訪ねた旧飛行場の周辺詳細マップが多数載っていて、あと少し道を知ってればなあという場所がぼろぼろと出てきてしまった。時間をかけて図書館で調べても全然分からなかったのに、この本では一目瞭然。もっと早く手に入れたい本だった。
※「八重山の戦争」は東京・銀座のわしたショップなんかでも売ってます、、、。
羽田へは最終便に搭乗。20分早い便もあり、大多数はそっちを利用していたので小さい飛行機ながらあまり混んではいなかった。ただ、事前に座席指定がほとんどできなかったにもかかわらず機内は空席だらけ。もともと乗りたかった左窓席が開いていたので移動させてもらった。
もっとも石垣からの飛行機同様、窓側をとったものの夜の飛行で島がどれかもよく分からない状態で、寝ては起きを繰り返していただけだった。
羽田にはほぼ定刻で到着。こうして今回もバタバタした旅行が終了となった。
最後に乗った飛行機はシャチホコジェット。だったのだが、先端の33番ゲートだったために撮影に不向きだった。
「平成22年12月旅行記:南の果てから(1日目)」へ←
→「平成22年12月旅行記:南の果てから(旅行後)」へ
■今日の教訓!
・平久保崎は時間がなければあきらめる←市街地から40キロ!
・川平湾は午前中に行くべし←午後になると濁ってくるそうな
・遺跡の調査はきちんと事前に←ネットでも本でもよく調べてから
・バンナ森林公園は南北行き来不可←工事中のためいまだけ
・おいしい空弁・スイーツは早めに確保←夕方以降はどこも売ってない
・石垣のANAは有人窓口で座席変更を←機械だと満席表示されてしまいます
■今日の旅程
12/18
石垣島 宿07:30(レンタカー)18:00[石垣空港](石垣島観光・新石垣空港他調査)
[石垣空港]18:30(ANA1782便)→19:20[那覇空港]
[那覇空港]20:55(ANA 994便)→23:10[羽田空港]
[羽田空港](京急線)→自宅
(レンタカー OTSレンタカー)
2010年12月19日
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