■2008.07.20 (青森市内)→函館→奥尻→(江差)→(函館市内)
4つの駅が混在する不思議な場所へ
二日目の今日は鉄道で函館へ移動後、奥尻へ飛行機で飛び、バスに一時間以上乗って港へ行きフェリーで江差へ渡り、再び鉄道に乗って函館へ行く、、、という大移動の日だ。
まずは5時半にはホテルを出て青森駅へ。始発の蟹田行に乗り込んだ。
青森から函館へは津軽線を経て津軽海峡線でのアクセスになる。津軽線と蟹田で分かれる津軽海峡線は特急しか便がなく、一般的には青森から特急を利用するのが普通だ。しかし、今回は青春18きっぷ使用なので特急には乗れない。ただ、青函トンネル区間である津軽海峡線の蟹田から木古内までは、特急しか走ってないから18きっぷでも乗れる特例区間になっている。
そこで青森から蟹田までは始発の各停で行き、そこから特急に乗り換える予定を立てた。だが、よくよく調べてみると、蟹田より先の津軽線津軽二股駅と津軽海峡線津軽今別駅との間で乗り換えが可能らしい。蟹田乗換でも二股・今別乗換でも乗れる電車は同じ。そこで不思議な駅配置に興味が湧き、二股駅で乗り換えることにした。
蟹田までの車両は、特急つがるに使用される車両で、18きっぷでの各停旅ながらリッチな気分を味わうことができた。
青森から蟹田までは各停で約40分。ここで津軽線三厩行に乗り換えになった。乗換時間は約30分もあり、一度改札の外に出て駅近くを散策したら、朝早いこともあり、あまり人がいない静かな空間が広がっていた。
蟹田では、青森から来た人の半数が乗換客だったが、ホームに残るバックパック的な人もちらほらいて、ここで津軽海峡線の特急に乗り換える利用者は結構いるようだった。
自分はここから津軽線に乗車した。さすがに三厩行は特急車両ではなかった。
蟹田から津軽二股までは約30分弱の旅。マニアックな駅だけに似たことをする客がいるかと期待していたのに、降りたのは自分も含め二人だけで、もう一人は地元住民の送迎を受けてどこかに行ってしまい、そのまま一人取り残されてしまった。
この駅は無人駅だった。道の駅いまべつが併設された注目すべき駅なのだが、朝9時からの開店で、スタンプラリー帳にスタンプを押すことはおろか利用することすらできなかった。
津軽海峡線の津軽今別駅と乗り換えできる駅というから少し離れたところにあるのかと思っていたのだが、津軽二股駅の入口を入り、ホームを横目に見ながら津軽線の踏切を渡った目の前に階段があって、津軽今別駅はその上にあった。ようは、両駅は名前は違えど、同じ駅だったのだ。都内で言うと東京駅の東海道新幹線ホームと中央線ホーム間よりも近接している感じだった。
※この津軽二股、津軽今別の両駅付近には、東北新幹線を延進する形で整備予定の北海道新幹線の奥津軽駅を整備することが構想されている。北海道新幹線は青森からこの駅付近まで専用軌道、ここから青函トンネル内は津軽海峡線と一緒になる予定で、分岐する駅として想定されているようだ。駅前広場には早期整備を求める看板が立っていた。

津軽二股駅での一こま。中央に見える線路は津軽線で、津軽二股駅の看板が立つ左側にホームがある。その奥側のシェルターを登ると津軽今別駅に。右上に見えるのがそのホームだ。さらに駅舎は道の駅いまべつになっていて、津軽今別駅は(仮称)奥津軽駅になる予定と、4つの駅が混在する不思議な空港だった。
楽しい楽しい日本最長の地底は、、、
津軽今別駅では、特急到着まで結構時間があったので駅舎などを撮影して過ごした。それにしても無人駅だからたいしてできることもなく、撮影後はホームで待ちぼうけ。ホームで待ち中もまったく誰も来ず、結局この駅から特急に乗ったのは自分一人だった。
こんなだからどうせ空いてるだろうとたかをくくっていたのだが、自由席車に入ったら、デッキにまで人があふれる状態。ゆっくり座ることもできないばかりか、壁に寄り掛かるのも難しいほどで、揺れを吸収して立っているのも大変だった。
せっかくの青函トンネルも、窓が扉についている小さなものしかないから、まったく見れず。客室内でもないので、トンネル通過中は異様なほど大きな爆音に耐えているだけになってしまった。この便は海底二駅にも停まらないのでただただトンネルを通過しただけ。今回の最大の目玉であった日本最長の地底の旅はあっという間に終了してしまった。
※青函トンネル内の2駅は外に出ることができない観光駅だ。だが、この駅、気軽に行ける場所ではなかった。だいたい駅に寄るためには、事前に旅行会社で入場券を購入しなければならない。しかも、青函トンネルを通る便はただでさえも少ないのに、さらに限定された便数しか停車しないのだ。まあ、今回乗車した特急が仮に海底駅に停まっていても、飛行機には間に合わないから寄ることはできなかったのだけれども。それにしても、日本のすばらしき技術を伝える良い場所なのに、なんともったいない。すごいトンネルと知ってる日本人ですら、騒音がひどいただ長いだけの暗やみ走行区間としか印象に残らなかったのだから、期待させるだけ印象をより悪くする馬鹿げた場所だと言えるだろう。ちなみに吉岡海底駅は工事中だったせいか下車が一切できなかった。
青函トンネルを過ぎて最初の駅の木古内からは江差へ向かい船で奥尻に向かいたかったのだが、船便は昼発がないため、そのまま函館へ向かうことにしていた。
18きっぷは各停にしか乗れないので、本当は木古内で下車する必要がある。ところが、木古内で次の各停に乗り換えると函館到着が1時間ほど遅くなってしまい、飛行機に間に合わなくなってしまう。仕方がないから、木古内から先は、津軽今別-函館間の特急券と乗車券を購入したうえで特急にそのまま乗車した。18きっぷユーザーが多いと思っていたから木古内で結構降りるのかと思っていたが、下車した乗客はほとんどおらず、木古内から先も混雑するデッキで揺れに耐えながら立ちんぼする羽目になってしまった。
※18きっぷの使用条件には、「津軽海峡線木古内〜蟹田間、石勝線新得〜新夕張間は普通列車が運行していないため、特例として当該区間内相互発着の場合に限り、「青春18きっぷ」のみで特急列車の普通車自由席にご乗車いただけます。ただし、特例区間を越えて乗車される場合は、乗車全区間の乗車券及び特急券が必要です。」との注意書きがある。木古内-蟹田間は特急に乗れるようなのだが、函館までそのまま乗っていると当該区間でも18きっぷが使えないというように書いてあるように見える。これについては、旅行前に都内の某駅で乗車券うりばで問い合わせしたところ、15分ぐらい待たされた挙句に「木古内-函館間の切符を買えば大丈夫」との回答を得ていた。ところが、ネットで調べると、乗り越す場合は18きっぷが使えないとされていたので、津軽今別-函館間の乗車券等を購入して乗車していた。結果としては、通路が大混雑で車掌も行き来できなかったのか一回も検札が来ず、函館駅では18きっぷしか見せずに通れたから、無賃乗車もできたのだが、どれが本当かは結局分からずじまいだった。
津波を教訓に防災が進んだ奥尻
函館駅は青森駅と同じく頭端式のスイッチバック駅だった。駅がかなり広々と感じるこの形態は、関東ではあまり見られない形態なので、かなり珍しい場所に来た印象だった。
函館駅からは連絡バスで函館空港へと移動した。函館空港までは30分ほどでかなり利便性は高そうだった。
函館空港には10時頃到着。これだけ時間があるなら青函トンネルの海底駅に寄りたかったのに、ちょうど良い便がないとは残念だった。明日も来る予定だが、天気が微妙なので、時間がある今のうちに外回りは撮影を済ませた。
奥尻空港へは1日1往復の運航だ。三連休だし混んでいるかと思っていたのだが、搭乗したのは20人もいなかった。小さな離島への航路に乗るのは今回が初めてだったが、いきなり離島路線の厳しい現実を目のあたりにすることになった。
時刻表上30分という奥尻までの飛行はあっと言う間だった。曇り空だったから、離陸時に函館の街、着陸時に青苗地区がわずかに見えた程度でほとんど眺めを楽しむことができなかった。
奥尻島は、空港訪問をはじめてから初めて訪れた本格的な離島だ。北海道南西沖地震で初めて知った島で、街がどう復興したのかをよく見ようと思っていた。
空港は島の南側、青苗地区近くにあり歩いて訪問することにした。
※旅行前でも触れたとおり、奥尻島の移動は徒歩とバスを利用した。空港にレンタカーやレンタサイクルがなく、タクシーと1日3便のバス以外に足はない。バスも飛行機ダイヤには連動しておらず、使いづらい印象だ。
空港南側に旧空港のターミナルや滑走路が残っている奥尻。空港のラックにこの7月から整備された、跡地を通るハイキングコース(フットパス)の案内パンフがあったので、それを参考に歩いてみたいと思ったものの、そのまま進むとバスに遅れそうだったので、泣く泣く途中で引き返してきた。
青苗地区は空港から歩いて30分ほどの場所に広がっていた。まず街を歩いてみたら、街の背後の高台と海岸沿いとの間にたくさんの避難階段、海側へ下りたら海岸沿いには大規模な人工地盤、防災無線のスピーカーも至る所に設置されていた。地震津波を受けたあとに実施された数々の対策に驚かされた。
ただ、家々は高台を中心に立ち並んでいたものの、人はあまりおらず、なんとも淋しい街だった。なんでかと思っていたら、港でちょうど「室津まつり」というのをやっていて、ほとんどの人がここに繰り出していたせいだった。
歩いていたら商店があったので寄り道。いわゆる島料金の確認をしようと色々見た結果、有名なお菓子であるグリコのポッキーが1箱210円で売られていたので、とりあえず購入した(島料金かどうかは皆さんの判断にお任せします、、、)。
その後は島南端へと移動した。ここには奥尻島津波館があり、今回ぜひ訪れたいと思っていた場所の一つだった。奥尻島は1993年7月の北海道南西沖地震で起こった津波に襲われ、南端の青苗地区は壊滅している。埼玉育ちの自分にとって津波に関しては普段全く関心がなかったし、昭和50年代生まれの自分は、記憶がある範囲で津波を伴う地震を一切知らず、この時は、地震よりもそれに起因する津波の怖さを初めて知ることになった出来事になった。だからこそ、どんな被害があり、どう復興したのかは非常に気になっていた。
津波館では、津波被害の状況やその後の対策が詳しく解説されていた。津波館周辺はただのだだっ広い広場だったのだが、展示を見たら、津波が来る前にはたくさんの家が立ち並ぶ一帯だったことが解説されていて、津波被害がかなりのものだったことを知らされた。

青苗地区は街のすぐ背後はちょっとした高台になっている。高台との間の崖には、津波被害後に設置されたとみられる防災無線や避難階段が各所に見られた(写真にも手前に1つ階段、奥にシェルター付きの階段が1つ見える)。
ウニが特産ってホンマ?
バスの時間まであまりなかったこともあり、島見学はここまで。ここからはバスに乗って島の中東部にある奥尻港を目指した。
バスはマイクロ車を少し大きくした程度のものだった。若い人は車を使うのか、利用者のほとんどはお年寄り。観光客風の客はひとりもおらず、あくまで生活路線のようだった。本当は車窓を楽しもうと思っていたのだが、椅子に座ったらいつのまにやら寝てしまい、気が付いたら港近くまで到達してしまっていた。
※島を半周するこのバスは、地域密着のバスであるせいか、奥尻地区では、海岸沿いにある道路から街の中に入り込みグルリ遠回りする経路を取っていた。
港までは、組まれていたダイヤよりやや時間がかかり青苗から小一時間かかったものの、船に合わせた運行とはいえ結構余裕を持ったダイヤが組まれていたおかげで、乗船まではまだ1時間弱余裕があった。
到着後、さっそく窓口で乗船券を購入したところ、出てきたのはピラ紙のきっぷ。飛行機と違って船は気軽に乗れることを強く実感させてもらった。
乗船まで時間があるので、レストランで奥尻名物うに丼を頬張り、さらにみやげだけでも確保しようと売店へ寄った。これといった土産がなかったのだが、店員の目線が気になるし、空港で何も購入できなかったから、唯一奥尻土産っぽく見える、奥尻特産のうにの瓶詰を購入した。
※奥尻港で購入したうにの瓶詰は結構高い値段がした土産だった。特産のうにだからと、寂しい懐からがんばってお金をだしたのだ、、、。
ところが、土産として実家に送ったところ、後日クレームが来てしまった。
なにかと思ったら、なんと生産地は奥尻ではなく外国。たちが悪いのは、正規の品質表示の上にまるで奥尻産であるかのように販売者表示を貼りつけ、表面にはさも奥尻土産と見えるように奥尻の風景と奥尻島というシールを貼りつけていたことで、こっちは目が点だった。皆さんも観光地で土産を買う際は気を付けられたい。

出港する際に撮影した奥尻港。奥尻のメインゲートになる。結構立派なターミナルなのだが、一部に手書き風に「おくしり」と書かれているなど、素朴な感じがする場所だった。建物の前で手を振る着ぐるみは奥尻島のイメージキャラクター「うにまる」。ウニが名産の奥尻島をPRするウニをモチーフにしたキャラクターで、毎回船出港時に出現しているようだ。
遠い江差の乗換
奥尻から江差までの船はハートランドフェリーというかわいらしい名前の会社により運航されていた。結構大きな船が使われていたものの、利用者はあまり多くはなく、のびのび過ごすことができた。実は船も本格的な離島航路に乗るのは初めて。船は瀬戸内海の航路でしか乗ったことがなく、外洋は初めてだったから、酔い止めを飲んですぐ寝てと、万全な状態で出港したので、あまり揺れを感じず江差まで酔わずに済んだ。
※ハートランドフェリーは今年1月に東日本海フェリーから名前が変わったばかりなのだそうだ。奥尻航路のほかに、稚内を拠点とした利尻・礼文、ロシアサハリン路線などを運航している。
江差では鉄道に乗り換えになった。船を下りたら目の前ののりばに函館行のバスが停まっていたのだが、今回は18きっぷを使った旅だから完全に無視して駅へと向かった。
江差は、港を中心に栄えた街なのに、駅は海から離れた街外れの高台の上にあった。港近くに掲げられていた地図にもかろうじて隅の方に記載されている程度。ハートランドフェリーの時刻表についていた地図では港近くの拡大図には入ってもいないぐらいだ。乗換時間は1時間あるのだが、港から駅まで3キロ位離れていて、徒歩30分かかると書かれていたので、やや急ぎ足で駅を目指した。
※江差港から函館までの連絡バスは船のダイヤにあわせて運行されていて、所要時間は約2時間なのだそうだ。鉄道は函館までも各停しかないからだいたい2時間。値段もほとんど変わらない。港を利用する場合、駅に行くだけでも大変だから、鉄道よりも連絡バスの方が断然便利だろう。
歩いている間に日が沈んだのか、江差駅に着いた頃にはだいぶ薄暗くなっていた。江差駅は終点なのだが、係員も出ていない(というか営業時間外だった)小さな駅だった。江差は北前船の貿易で発展し、蔵が多数立ち並ぶ繁盛した街と聞いていたのだが、歩いた感じでは街も全然そんな印象はなく、寂しい駅と合わせてちょっと拍子抜けだった。せっかく1時間余裕があったのに、駅と港が離れていて乗換が不安だったから、散策できなかったのだが、この時間をもう少し有効に使いたいところだった。
函館までは、真っ暗ななかでの走行だったので、車窓を楽しむわけにもいかず、乗車中は奥尻のパンフなどを見ながら適当に過ごすことになった。木古内から先は昼間も通っているので車窓が楽しめなくてもまだ我慢できたが、こういうとき昼間の時間が長ければ、と真剣に考えてしまう。
函館まであと数駅となったころ、窓の外、海の向こうに函館の灯りが見えた。昼とはまた全く違った風景で、暗やみに浮かぶ光は、さすがは100万ドルの夜景だけあって、海を通して見てもとてもきれいだった。ほんわか眺めていたら、花火があがっているのも見ることができた。ちょうど函館港花火大会の日だったようで、車窓からの鑑賞となった。
今日二度目の函館駅はすっかり暗くなってからの到着。時間も時間だし、まずは市内の五稜郭近くにあるホテルに荷物を置こうと市電に乗り込んだ。
ところが乗り込んだとたん、雨が降りだしてきた。朝から曇り空だったとはいえ、花火もあがっていた位なのに、このタイミングで雨が降りだすとは、ホントついてない。ホテルに荷物を置いたら函館山に繰り出して夜景を眺めようと思ったのに不可能になってしまった。仕方がないからおいしいものでも食うかと傘をさして街に出たものの、飲み屋しか開いておらず、結局コンビニ飯を買って、部屋でテレビを見て過ごすことになってしまった。

19時前に到着した電車は、ワンマン運転の1両編成だった。地方路線の盲腸線とはいえこれにはさすがにびっくり。江差駅から乗車した人もたったの3人しかおらず、思っていた以上に淋しいローカル線の旅になった。
■今日の教訓!
・[津軽今別]津軽二股と同じ駅!←タイミングが合えばぜひ乗換をしてみよう
・特急に乗れる特例は要注意!←区間外へ乗り越すと18きっぷは使えない
・海底駅にはほとんど行けない!←止まる電車がチョー限定されています
・[奥尻島]津波館には必ず行くべし!←津波の怖さが分かります
・[奥尻島]ウニを買うときは要注意!←奥尻産でないものがあります!
・[江差]鉄道よりもバスが便利!←函館からは断然バス!
■実際の旅程
07/20 SUN
青森市内05:30(徒歩)→06:00青森駅
青森駅06:03(JR津軽線)→06:42蟹田駅
蟹田駅07:17(JR津軽線)→07:41津軽二股駅
津軽今別駅08:07(津軽海峡線・特急白鳥41号)→09:25函館駅
函館駅09:40(空港バス)→10:00[函館空港]
[函館空港]11:15(HAC2891便)→11:45[奥尻空港]
[奥尻空港]12:30(徒歩)→13:00奥尻町青苗
奥尻町青苗14:23(奥尻町有バス)→14:57奥尻港
奥尻港15:45(HLF)→18:00江差港
江差港18:00(徒歩)→18:30江差駅
江差駅19:00(JR江差線)→20:30函館駅
函館駅(函館市電)→五稜郭公園前電停(函館市内) 宿
(ホテルエスパル 泊)