3月31日で廃止となった枕崎飛行場(枕崎空港)。
営業当時の姿をニュースと写真で振り返ります。
■空港概要 枕崎飛行場はこちらをクリック
■枕崎空港が閉港 22年 別れ惜しむ(南日本新聞公式サイト)
http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=47518
■枕崎空港が閉港、22年の歴史に幕(読売新聞公式サイト)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/kagoshima/20130401-OYS1T00375.htm
■枕崎空港閉港22年の歴史に幕(鹿児島放送公式サイト)
http://www.kkb.co.jp/news_move/jchan_move_local.php?senddate=20130401&sendtime=184603&linenumber=5
■22年の歴史に幕 枕崎空港が閉港(鹿児島県)(鹿児島読売テレビ/日テレ
NEWS24)
http://www.news24.jp/nnn/news8723268.html
北側から見た枕崎飛行場。周辺は茶畑が広がる広々とした空港だった。
入口は、茶畑の中に突然姿を現す大きな建物が目印。「21世紀へ躍進する エアロポリスまくらざき」、そう、ここが「空の玄関口」、枕崎「空港」です。
平成生まれの空港の廃港は全国で初めて。建設には郵便局からの融資も受けていたのですが、、、。
枕崎らしくおさかなのモニュメントがターミナルの目の前にあった。
定期便の就航はなかったが、個人所有機は離着陸。有名人も何人か飛来していたようだ。(ターミナル内)
東和航空が平成10年代までチャーター便「エアータクシー」を運航していた。
ターミナルのエプロン側。風を読んでも飛行機がなかなか来ない。
エプロンに駐機中の機体。他の空港からチャーター機で飛ばすか、自家用飛行機に乗せてもらうしか、一般人には離着陸する方法はなかった。
一般人がなかなか利用できないまま、空港がまたひとつ消える。さようなら、枕崎飛行場。
※写真は平成19年12月または平成21年12月に撮影
ラベル:枕崎飛行場
空港北側に標高400m級の山が迫り、風向きによっては乱気流が発生して飛行機の離着陸には難しい面もあるのですが、グライダーにとっては上昇気流の発生につながり、逆に面白い気象条件となっていました。
もう少し滑走路が長ければ、より大きな旅客機も就航でき、採算ベースに乗ったのかもしれませんが、地形的な制約でこの規模の飛行場が精一杯だったようです。
近年は滑走路のマーキングも消えかけたまま、PAPIは消灯、吹流しのベアリングは錆びついたままと設備の手入れがされなくなっていましたが、それでも草刈だけは専任の職員により実施されていました。草木の育ちも良い南国ですから、草刈だけでも相当な作業量と見受けられました。
グライダーの活動により、最近は統計上の着陸回数も増えていましたが、一回1000円の着陸料では職員の人件費も賄えません。焼け石に水ですよね。
仲間でお金を出し合い、飛行場を買い取りたかったけれど、メガソーラーの雇用創出力には敵いませんでした。
上空から見た景色は開聞岳に吹上浜と風光明媚の一言に尽き、忘れられない記憶です。
>まるヨさん
いらっしゃいませ。
空港訪問をしている身として廃港は非常に残念でしたが、実際使っていた方にとっては残念以上のことだったのではないでしょうか。
滑走路が短いのに加え、アクセスが不便だったことも効いたような気がします。飛行機の航路だけ見れば、三島や十島方面の玄関口として機能させやすい場所だったのかもしれませんが、例えば三島なら、鹿児島市内から船もあって、車で枕崎まで来て乗り換えて、という動きより楽でしょうし、、、。地上アクセスが不便だと航空便の乗り継ぎを充実させる位しか集客できる方法がないと思うのですが、福岡などから飛ばせるくらいの滑走路長もなし。日本は欧米のように自家用機が発達しているわけではないので、地上交通と旅客便がセットされないと利用者はほとんどいないですから、廃港は必然の流れだったのかもしれません。
ただ、今後は一大発電地として活用されるとのこと。廃港後、活用もされずに草木が生えてしまった飛行場が多数あるなかで、有力な有効活用案になることを期待しています。
他の飛行場や離着陸場でご活躍されることを願っています。
それでは失礼します。