2019年04月22日

空港から振り返る平成22年

特集 ニッポンの空港から振り返る平成二十二年


日本に航空が誕生から100年を迎えた平成二十二年も大きな変化がありました。前年の空港廃港で衝撃を受けたのも束の間、年明けすぐの1月にフラッグキャリアの日本航空(JAL)が破綻します。
JALの運航は維持されましたが、破綻の影響は大きく、10月には広島西飛行場(広島県)、名古屋飛行場(愛知県)、粟国空港(沖縄県)の一気に三空港でJALグループが撤退。広島西では定期便が消滅しました。(名古屋はフジドリームエアラインズ、粟国は第一航空が引き継ぎ、定期的な旅客運航消滅はなんとか免れています)。

そんななか、3月に百里飛行場(茨城県)の軍民共用(茨城空港)がスタートしました。民間用の滑走路を増設しての開港となりましたが、国内線はスカイマークが開港から遅れて就航したのみで、空港運営の難しさを実感することになります。
ただ、茨城については、大手航空会社の食わず嫌いなところが出た感じで、その後の利用は堅調。そもそもLCCに対応した初めての空港となり、東京への格安バスを運行するなど、様々な工夫が注目されることになりました。

新施設では、3月に新千歳空港(北海道)で国際線ターミナルがオープン。4月には徳島飛行場(徳島県)がターミナル地区を移転します。
そして10月、東京国際空港(羽田空港/東京都)で新国際線ターミナルが開業しました。成田国際空港(成田空港/千葉県)の開港で大部分が移転していた国際線が、日本の航空の歴史の3分の1も占める、32年ぶりに本格的に再開されました。結局成田から羽田に移るだけの成田切り・羽田シフト、さらには成田飛ばしなど、再国際化の弊害がクローズアップされた一方、羽田に対抗するために成田でLCC誘致や高速鉄道乗り入れが進むなど成田の利便性が大きく進むきっかけにもなりました。

日本の航空百年目は、長年の栄光の歴史と既得権益にしがみついたまま、落ち目になったことにやっと気が付いて、やっと焦り始めて、やっと色々始めてみた、そんな一年でした。

平成二十二年 空港の主な出来事
01月:JAL 破綻
03月:百里飛行場 民航部分開港
03月:新千歳空港 国際線ターミナル・連絡施設 開館
04月:徳島飛行場 滑走路2,500m化・新ターミナル地区へ移転
04月:YCAT 手荷物受託サービスを終了(3/31最終手続、国内全シティエアターミナルから手荷物受託サービス全廃)
05月:福島空港 国内初となるリージョナル航空機&小型航空機兼用型航空旅客搭乗橋 設置
05月:航空100年空港スタンプラリーを実施(定期便就航83空港が参加した超大型空港イベント)
07月:成田国際空港 成田スカイアクセス線乗り入れ
10月:東京国際空港 D滑走路供用開始・新国際線ターミナル開館・羽田空港国際線ターミナル駅・羽田空港国際線ビル駅 開業・32年ぶりの再国際化
10月:広島西飛行場 定期便消滅
12月:日本の航空100年(徳川好敏陸軍工兵大尉と日野熊蔵陸軍歩兵大尉による東京・代々木練兵場での動力機公開飛行から100年)

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平成22年、首都圏第三空港ともいわれた百里飛行場(茨城空港)が開港しました

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posted by johokotu at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ◆その他の話題 | 更新情報をチェックする
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