2020年06月23日

沖縄戦停止75年 沖縄と空港

◇戦後75年特集 沖縄戦停止三四半世紀、沖縄と空港を考える

今日6月23日、沖縄戦停止から三四半世紀、75年となりました。
航空機の大量投入で航空戦が起こった大戦。航空や空港の話題から過去を振り返り未来を良くしていきませんか。


今年2020年は、第二次世界大戦終戦から75年となる年です。
沖縄では、6月23日が慰霊の日で、犠牲者を慰霊し、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える日になっています。
二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、戦後75年を迎えるに当たり、日本空港情報館では、空港の話題を通じて戦争と平和について取り上げたいと思います。

5月8日には欧州で戦争が終結。戦勝国が多い海外の様子を取り上げました。
沖縄戦が停止してから75年の今日は、沖縄と空港の話題から戦争と平和を考えます。


沖縄は離島ですから、本土からは、船か航空機でないとアクセスができません。
このため、沖縄リゾートに遊びに行くとき、那覇空港を利用する人は非常に多いと思いますが、沖縄は、空港も、戦争の記憶を遺す大きな存在になっています。

第二次世界大戦は、飛行機の威力が証明された戦争だっただけに、戦争直前〜戦時中に多くの飛行場が造られています。沖縄の場合、沖縄戦停止後も米軍が本土攻撃の拠点とするため急ピッチで軍事拠点を整備されたうえ、米国占領下に置かれたこともあり、突然土地を追われ、村人総動員で突貫で造られたものも少なくありません。

そんな沖縄は米軍基地がまだ多く残っている点で、本土よりも飛行場で戦争の記憶を感じることができる土地になっています。
本土でも、東京都横田や山口県岩国などいくつか米軍基地は残っていますが、返還された場所も非常に多く、あまり戦争の記憶を感じることができません。例えば、東京航空交通管制部がある埼玉県所沢は、戦後米軍基地だった場所の跡地に建てられていますが、周辺は平和利用の開発が進み、戦争の面影はあまりありません。

しかし、沖縄の米軍基地は、街の中にドンと残っているのが最大の特徴です。その存在感は非常に大きく、戦争の面影が色濃く残っています。
例えば、嘉手納基地は西海岸沿いを横切るように存在しており、海岸沿いに日本の土地はほぼなし。このため、南北をつなぐ道路は国道58号線1本のボトルネックで、渋滞が結構起こります。たったそれだけのことも、基地がなければ起こらないのですから、その存在は嫌でも意識させられます。

実は、沖縄本島周辺だけでも、現役の滑走路のある米軍基地が、普天間、嘉手納、伊江島補助と三つも存在しています(2006年までは読谷補助飛行場もあり)。しかも、嘉手納と伊江島補助はそれぞれ2本滑走路があります。これだけ滑走路が密集している場所は国内ではまれです(東京圏が近い存在ですが、滑走路はここまで多くないですし、多くは自衛隊施設で日本が使えます)。
そしてこれだけ滑走路があるのに、日本が自由に使える滑走路は実質的に那覇空港のみ。伊江島に3本ある滑走路のうち、伊江島空港1本は日本の飛行場ですが、領空は米軍による飛行制限があり、日本は自由に使えません。
沖縄の飛行場は、戦争が残した影響を、日本で最も感じられるものになっています。

国内の空港は戦時中に飛行場になったところも多いです。本土では、それらの飛行場の多くで旅客便が飛び、日本人が使っていますが、沖縄では日本人が使えない飛行場ばかりなのです。
平和な現代、旅行やビジネスに快適に利用できる空港も、75年も経っているのに、戦争を引きずっています。戦争の犠牲と引き換えに、今、平和な利用をできる、ということを最も実感できるのが、沖縄の飛行場群というわけです。

戦後75年。ぜひこの機会に、今年の夏は、戦跡、いや、いまも戦争の記憶が残る飛行場を訪ねて、空港だからこそ感じることができる、戦争と平和について考えてみませんか。

沖縄の米軍基地をまとめたページ(沖縄県公式サイト)
https://www.pref.okinawa.jp/site/kichi/begun/index.html

沖縄本島周辺の飛行場
那覇空港:    日本使用   滑走路×2本(1本は今年3月にできたばかり)
普天間飛行場:  米海兵隊占有 滑走路×1本
伊江島補助飛行場:米海兵隊占有 滑走路×2本、ヘリパッド、LHDデッキ
嘉手納飛行場:  米空軍 占有 滑走路×2本(那覇より長い約3,688m)
奥間レスト・センター:米空軍占有 滑走路×1本(軽飛行機用)

読谷補助飛行場: 米海兵隊占有 滑走路×1本 ⇒ 2006年全面返還で再開発中

oka20200623.jpg
空から見えた嘉手納基地。那覇空港を差し置いて沖縄最大の飛行場のひとつです。
空から見ると、周りの街を押しのけたようにデンと存在しているのがよく分かります。
(2019年4月 東京国際→那覇便の左窓席から撮影)


航空戦が起こった第二次世界大戦の欧州終戦から三四半世紀(5月9日更新)
http://johokotu.seesaa.net/article/475004801.html
戦後70年特集 戦争と空港を考える(戦後70年の時の特集、2015年8月15日更新)
http://johokotu.seesaa.net/article/423956544.html
ラベル:沖縄 戦後75年
posted by johokotu at 02:00| 東京 ☔| Comment(0) | ◆その他の話題 | 更新情報をチェックする
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