■2024.09・10 東京国際・熊本・大分・宮崎・鹿児島の旅行後
今回の旅では、新旧ホバークラフト(大分では「ホーバー」と呼びます)の発着場を訪ねました。
永遠に記憶に残した乗り物かと思っていたら、メーカーは異なりますがなんと復活。ホーバーはやはりフォーエバーでした。
そこで、空港アクセスのホーバーについて取り上げてみます。
■大分空港ホーバー航路いよいよ復活へ!
大分では、大分空港〜西大分港間を結ぶホーバーの2024年開業を目指して、準備が進められています。
隣県の熊本では熊本市中心部から熊本空港までわずか15キロですが、大分空港は大分市中心部から陸路だと50キロほど(高速道路経由だと60キロオーバー)という離れた場所にあります。
そこで、アクセス改善の切り札となるのが別府湾を一直線に貫くホーバーです。
大分空港〜西大分港間は30分。陸路だと50キロほどある道のりを、一直線に30キロほどに短縮し、わずか30分で結ぶ画期的な航路です。
実は、大分空港では、開港時からホーバーが運航されていました。しかし、バブル崩壊や高速道路開通でのリムジンバス充実等が影響した利用者減少に耐えられず、2009年10月に撤退しています。
(→撤退時に最後乗りに行ったときの記事「大分空港 ホーバーに最後のにぎわい」(2009年10月13日配信))
大分空港は、昭和30〜40年代に郊外移転した空港のひとつです。旧空港はすぐ横に石油化学コンビナートが計画され拡張が難しかったことと、墜落事故が発生したこともあり、大分市内に残るという選択肢はありませんでした。
移転先は、様々な候補地の中で、大分市中心部から最も遠く離れた国東でした。
国東案の大きな課題は、当然ながら、そのアクセスでした。なにしろ、大分市中心部から陸路で50キロほどもあります。アクセスの悪さに反対意見もあったでしょうが、ここで、「時短交通手段を整備するから黙らっしゃいな」、と出てきたのがホーバーでした。
当時のホーバーは大分空港〜大分市西新地(旧空港脇)間を30分以内で結んでいました。これがあるからこそ、国東案はアクセス距離が長くても何とかなると判断され、大分空港の移転検討が決着したわけです。
そういう点で見ると、2009年にホーバーが廃止になったとき、大分市内から同じ程度の時間で空港に到達できるアクセス交通が全く提案されないまま廃止されたのは、大分空港移転の検討経緯を愚弄する行為とも言えるトンデモナイ出来事だったのです。
(だったら、大洲周辺の元基地跡地にいる人は全員出ていき、コンビナートも廃止して空港を再整備せよ!という意見が出てもおかしくないくらいの出来事でした。)
ホーバーが廃止されたのは、大分空港道路の完成など空港への道路整備が進み、バスが便利になったのも遠因です。しかし、ホーバー廃止後、大分市中心部までのアクセスは、そのバスしかなくなってしまい、60分程度確実にかかるようになってしまいました。このため、大分空港は遠いというのが定着してしまいます。大分市中心部から60分もかかるなら、福岡行っちゃうよ、という客がさらに出てくるようになりました。
今回、ホーバーを再開させるに当たって、ダメだった交通機関を再開することを冷ややかな目で見ている人もいるようです。しかし、歴史を紐解けば分かるとおり、大分空港と大分市を30分程度で結ぶことは、実は50年前から引き継がれたとても重要な考え方であり、それを実現するのにホーバーが必要だったことは注目してほしいものです。
※今回ホーバーを復活するに当たって、ジェットフォイルなどの高速船も検討はされたのですが、大分空港のターミナル脇まで乗り入れるためには港の造成が必要になり、多額の費用が必要なことから断念されました。もう少し時代が進んでいれば、空飛ぶクルマで輸送という検討もされたでしょうが、少し時代がついてこなかったようです。(それこそ、大分県庁ヘリポートを活用したり、西大分港に発着場を設ければ済むこと。)
大分県では、ホーバー再導入について、単に復活するのではなく、船舶購入は県が行って運航会社が参入しやすくしました。
そして、単なるアクセス交通ではなく、それ自体が観光名所として、国内唯一であることを活用してPRしています。
空港開港時のホーバー導入は、国内で他にも運航者がいたため、物珍しさで売るのが難しかったですが、今回は違います。
お隣の熊本がたいして時短にならない空港アクセス鉄道を造りますが、大分は、時短もPRもするという、かなり効果的なアクセス改善を行います。
■ホーバー航路を事前にチェック
そんな、新ホーバー乗り場を写真で見ていきます。
■大分空港
大分空港は、旧ホーバーの航走路がそのまま残っていたため、それを活用します。ターミナルビルは撤去されていたため、同じ位置に新設されていました。
■西大分港
大分市側発着地は、西大分港に新設されました。
ただ、西大分港の東の端に整備されていました。西大分港は西端のかんたん側であれば、最寄駅の西大分駅まで250メートルほど、さんふらわあのりばからも650メートルほどで鉄道への乗り継ぎも抜群です。ところが、新ホーバー発着地は、西大分駅から1,800メートル離れています。その分、大分市中心部には少し近付きましたが、セントポルタ・トキハ前まで2,300メートルほどで、いずれも歩くには少ししんどい感じでした。
※昭和時代だったら、港を改造してかんたんに乗り入れようという整備計画が簡単に出てきて感嘆してたと思うのですが、今回整備にかける金は全然なし。大分空港側も港を造る金がないからホーバー再導入になりました。日本の凋落を示すようで、なんだか残念ですね。
■旧ホーバー航路を探しに行こう
今回の訪問では、大分空港の旧ホーバーに加え、鹿児島空港アクセスで使われた空港ホーバーの痕跡を探しに行きました。
それらもご紹介。
■大分空港アクセスの旧ホーバーの痕跡
・大分市の旧ホーバー基地
大分空港アクセスの旧ホーバーは、大分市側の発着場が西新地にありました。
旧大分空港跡地の西端、大分川河口右岸(東側)です。大分市中心部から道路距離3.3キロで、この地味な遠さが利用を敬遠する要因になっていたようです。
西大分港の新ホーバー基地が出来るまで、こちらで新ホーバーが訓練していたと聞いていたので期待していきましたが、建設関係の会社に変わっていました。
旧ホーバー基地の駐車場だったところ。現在は近隣の工事関係者の駐車場として活用。
ここで旧ホーバー廃止直後から、大分空港行のバスが発着していました。
この駐車場を活用したパークアンドライド拠点となっていたのです。
バス停前の南国の森には「時-木陰」(溝口晴美氏)の像が残っています。
これ、地元ライオンズクラブの寄贈なのですが、なぜか下着姿の女性像です。
真後ろにラブホがあるため洒落にならん作品になっており、妙に盗撮感ありますね。
■鹿児島空港アクセスの空港ホーバーの痕跡
続いては、鹿児島空港アクセスの空港ホーバーの痕跡を見てみます。
ネットサーフィンしてみると、新空港開港から5年間だけ運航していたとの情報がありました。
メインは加治木〜桜島〜指宿間の運航だったようで、オマケ的に加治木〜鹿児島港(桜島桟橋)〜指宿間の便があったようです。
今回は、桜島側や指宿には行かなかったので、鹿児島港と加治木港を取り上げます。
・鹿児島港本港区(桜島桟橋)
桟橋周辺を少しだけ散策したところ、広場の一角に何やら説明板が立っていました。
よく読み込んでみると、港の歴史の解説板でした。
実は桜島桟橋付近(本港区)は昭和の終わり〜平成初期に大規模に造成し直され、海側に埋め立てられていました。
つまり、昭和40年代〜50年代に稼動していたホーバー乗り場は跡形もなく消え失せていたのです。この説明板には、港の歴史年表も記載されていたのですが、ホーバーのことは全く書かれておらず、空港ホーバー乗り場がどのようなものだったのかは、結局分からずじまいでした。
家に帰ってから国土地理院の古い航空写真を見てみましたが、スロープらしきものは分かりませんでした。
旧空港跡地だからとたまたま寄り道した鴨池港ターミナル内に古い港地図がありました。
これがなんと、本港区改造前の港の形を示した大変貴重なものでした。
左端辺りが桜島桟橋で、現在よりも凸凹していないことが分かります。
左上の図が本港区改造の計画図(現在の形)です。
桜島桟橋敷地にあった案内板には、本港区の変化の解説図がありました。
黒い線が大正時代の岸壁、赤い線が今の岸壁。
ホーバー運航時は大正時代より手前に引っ込んでいたようです。
ホーバー乗り場は、今の桜島桟橋の左側付近にあった模様。(特記無し)
現地の案内板は最後に見つけたので、探索中はスロープねぇ〜な〜と、なんだか良く分からないまま、グルグルしていました。時間がなくてよく見直しませんでしたが、残念感を残したまま桟橋をあとにしました。
・加治木港
加治木港は、加治木本町から徒歩10分ほどのところにあります。
入口から西半分はセメント工場敷地(のように見える)、東半分が漁港でした。
港関係者以外立入禁止の割に、何人も釣り糸垂れていたり、地元の赤い信書配達のバイクが乗車訓練してたり、そもそも脇道から階段あるのにフェンスや立入禁止看板がなくて入りたい放題だったりと、少し不思議だったのですが、、、。
家に帰ってからネットサーフィンしたところ、驚愕の事実が発覚。
まず、見えたスロープはホーバー用ではなく、ホーバーは、港の西側で発着していたようで、なんと別のスロープが残っていました。
上の写真でも分かるように、西側(写真の奥の方)はセメント工場の砂が山盛りにされていて、なんとなく行きづらいようだったのですが、間の道はセメント工場とは別物。その道を通ればスロープの目の前まで行けたようです。
そして、Googleマップでは、普通にGoogleマップカーがその道を通行しており、ホーバーが使っていたスロープも撮影していました。(→当該位置のGoogleマップはクリック)
なんだ、誰でも入れたんじゃん。
※ちょうど夕方の仕事終わりの時間帯。立入禁止の港へ次から次へと車が入っていっていたので、現地にいるときはセメント工場の夜勤者の出勤かと思ってました。が、どうも、仕事終わりの人が釣りに来ていただけのようでした。港関係者かもしらんけど、、、。
遠く離れた鹿児島にはるばるやってきたのに、こういう目と鼻の先で逃した獲物は、大きすぎますね、、、。港関係者の皆さんなら、この気持ち分かるでしょ、、、。ホント、つれないね〜〜〜。
ということで、中途半端ですが、ホーバー跡地訪問は終了です。
何はともあれ、大分空港では、いよいよ大分市内から30分のアクセスが復活します。
LCCはおろかソラシドエアすら就航していなかった、前ホーバー廃止当時に比べ、大分空港に乗り入れる航空会社も、ダイヤ設定時間帯(当時は羽田夜発大分早朝発の夜間駐機便もなかった)も、航空を利用する層も変わってきています。
アクセス改善で利用者が増えるのか、楽しみに待ちながら、今回の旅を〆ます。