※本旅行記は2025年3月に訪問したものを2025年4月に公開したものです。
■2025.03.13 (広島)→広島ヘリポート→岩国→福岡→東京国際
■世界が見るHIROSHIMAは早朝からおもてなし
四日目。今日は早朝に広島ヘリポートを見たあと、午前中に岩国飛行場を訪問。その後福岡空港まで移動し、東京へ戻ります。
値段が安けりゃ岩国から飛んでも良かったのですが、福岡から帰る方が安いというなんともモヤモヤする移動となります。
今回は、NHK広島ヘリポートと吉島飛行場跡地にも寄るつもりでいました。そこで、一日貸し出しが可能なシェアサイクルで広島の街を駆け抜けることにしていました。
新井口から広島ヘリポートまでは、徒歩でも行けないことはない距離です。しかし、新井口付近にはシェアサイクルのポートがありません。新井口前後の駅で一番近いポートは西広島駅前なのですが、NHK広島ヘリポートは、西広島駅から行くより広島駅から行ったほうが断然近いところにあります。西広島発着とするよりも、広島駅スタートで、NHK広島ヘリポート、吉島飛行場跡地、広島ヘリポートと回って西広島駅に戻る(あるいはその逆まわり)ほうが断然効率的でした。そして、中心部を人の少ない時間帯に通り抜けることを考えて、広島駅からスタートすることにしました。
朝の電車でまずは広島駅へ向かいました。
昨日夜22時にホテルINだったのに加え、今は日の出が6時20分頃なので無理はせず、6時頃に広島駅に着く2便目で向かいました。
広島駅構内のセブンイレブンで1日券を購入し、早速出発です。
※広島駅出口の階段を降りてロータリーわきに出たところで、杖突いた足の悪い老人が立っていました。
工事で先を見通せなかったので、スマホでシェアサイクルポートのマップとにらめっこしながら少しキョロキョロしていたら、この人がすぐに「どこに行くのか」と声をかけてきました。
よくよく見たら、シルバー人材なのか、腕章をしている正規の案内人。シェアサイクルのポートは分からないようでしたが、足の悪い中、案内板まで歩いて、位置を案内してくれました。
世界一知られた日本の都市だけに、観光客が大勢いるんでしょうね。こんなに朝も早よから案内人を用意する都市、HIROSHIMA、スゴイです。こういうおもてなしの精神には頭が下がります。海外だったら、案内料巻き上げるボッタクリの奴らですもんね、、、。
こういうのは、やはり現地に行かないと分かりません。
NHK広島ヘリポートまでは自転車で10分ほどで辿り着けました。
平和記念公園が目と鼻の先の、平和大通り沿いに位置していました。通勤者が徐々に増えてきた時間でしたが、通行人を避けずに撮影できました。
■吉島飛行場跡地はダンサー興奮間違いなし
NHK広島ヘリポートからは鯉城通りを南下、その後南大橋で元安川を渡り、最上流に平和記念公園がある三角州に渡りました。ここから吉島通りを南下していきます。南大橋を渡った辺りは江戸時代の干拓地。その先すぐに明治時代以降の埋立地になっていきます。
※吉島飛行場跡地は全域が大正時代以降に埋め立てられた吉島沖新々開と呼ばれる埋立地に当たります。
広島の三角州は、東側から、宇品、吉島、江波、観音の大きく4つの埋立地(細かく言うと、これに戦後埋め立てられた草津もあり)があります。宇品は一番初めに港として整備された地域。江波は島をベースにしていたので土地の利用が早くに始まり、観音も現在の広島南道路より北側は戦前から街が形成されていました。
ところが、吉島沖新々開は、戦前は鉄道操車場予定地、戦時中は飛行場になったこともあって、戦後直後、広大な土地が余っていました。このため、戦後も飛行場として活用していましたが、昭和30年代に太田川放水路を造成する際の立ち退き代替地として活用され、一気に街に変化しました。現在は、家屋や工場等が密集するエリアになっています。
興奮したのは、吉島通りで北から向かった時に、吉島沖新々開の境目がはっきりしていたこと。建物が密集していても吉島飛行場跡地の領域は分かりやすかったです。
※吉島飛行場は、昭和19年に完成し、戦時中は旧日本軍が運用していました。戦後は占領軍による占領を経て、昭和27年から数年間(旧広島空港が出来る昭和36年より前まで)民間飛行場として運用されていたようです。
国土地理院のサイトで公開されている航空写真は、吉島周辺は終戦直後の3年間ぐらいは超高頻度で撮影されているのですが、なぜか、戦後飛行場として運用された期間だけが見事に抜け落ちています。
終戦直後の写真だと、現在の吉島通りよりやや西側に道路が見えますが、全域はほぼ空き地状態で、滑走路のようなものは見えません。で、その後の写真は、昭和37年のものになりますが、飛行場は跡形もなく建物がたくさん出来上がっている状態です。このため、戦後飛行場として運用された期間、どの位置に滑走路があったかなどは正確にはよく分かりません。
ネットサーフィンしてみると、東洋楽器製造の建物が建って滑走路が使いづらくなったこと、当時の滑走路が同建物の西端付近から南に延びていたことなどが情報としてあります。
国土地理院のサイトでは、戦後飛行場として運用された期間では唯一昭和30年の1万分の1地形図が公開されています。この地図だと、光南3丁目10番交差点の東西に伸びる道路より北側は既に碁盤目の道路が描かれており、戦時中の飛行場区域の北半分は街に変化しています。そして南半分は、周囲に建物がほとんどない中で、光南6丁目2辺りにだけ建物が描かれています。これが、東洋楽器製造と思われます。(昭和34年の1万分の1地形図もありますが、この地形図では飛行場は消えて、碁盤目の道路が出来上がっています。)
これらの情報を基準にすると、昭和30年頃には飛行場区域は吉島沖新々開の境目より600メートル強南下して、光南3丁目10番交差点の東西に伸びる道路より南側のみに縮小していたとみられます。その際の滑走路は、吉島幼稚園西側を南北に走る道路の延長が滑走路位置だったのではないか、と推定しました。
■広島ヘリポートの痕跡探しは残り時間少なし
吉島からは江波を通って広島ヘリポートのある南観音新開へと向かいます。広島南道路を通りましたが、この道路の建設が広島西飛行場閉鎖への引き金を引きました。
広島西飛行場の北端部分は、道路領域に取り込まれています。
※広島南道路は、広島市中心部を通る国道二号線のバイパスとして整備されたもので、広島市の海側を東西に結んでいます。朝の時間帯はチャリがとても多かったです。
戦前この海沿いは、埋立とセットで、宇品から吉島、江波、観音を通って草津へ抜ける鉄道整備と港湾、工業地区の築造が進められていました。結局、鉄道は実現せず、道路に化けたことになります。吉島飛行場は、国鉄の操車場予定地だったところで、戦前は工場などの立地がなされませんでした。
広島港の鉄道が実現していたら、広島ヘリポート(=旧広島西飛行場=旧広島空港)へのアクセス抜群で廃港など議論にすらならなかったかもしれません。
鉄道(操車場)が実現しなかったせいで広い土地があった吉島に飛行場ができ、今度は鉄道崩れの道路を造るために広島西飛行場が廃港になるとは、なんとも不思議な巡り合わせです。
今回の訪問は、そんな広島港の今昔も垣間見える興味深いものになりました。
チンタラしていたせいで、広島駅を出てから一時間以上かかって、やっと広島ヘリポートに到着しました。
ここで自転車の充電残量が3%に。さすがに持たないので、近くの広島西飛行場跡地にあった「ポート128 モルテン ザ・ボックス」で自転車を交換しました。
自転車交換後は広島ヘリポートの正面玄関側へまわりました。
■皆で来い来い鯉の街、世界からの注目度も半端なし
広島ヘリポートから最も近い山陽本線の駅は新井口駅です。これから向かう岩国方面なので、そこに行くのが最も効率が良いですが、シェアサイクルのポートがありません。
そこで広島ヘリポートを出たあとは、西広島駅へ向かいました。
西広島を9時までには出たかったのですが、ぎりぎり間に合わず、9時5分頃到着。次に岩国まで行くのは9時24分発だったので、駅の東側だけ少し散策しました。
※西広島駅は元々己斐駅でした。
これ、「こい」と読みます。元々の町名ですが、神功皇后に鯉を献上したことが名前の由来となっています。一帯の海は己斐浦と言われ、広島城も鯉城の別名があり、広島と言ったらCARPになっているわけです。(広島城とは別に己斐城もあります)
西広島は、今は広島の一方端のほうの名前ですが、由緒正しき濃い鯉の街に来いといった感じでした。
今日回ってきた場所は、ほとんどが干拓地、埋立地。己斐の街は、山側が元々陸地だったようで、その点でも由緒正しき土地です。駅は元々海だった所との境目にあたり、西国街道の通過点でした。
※己斐は、児童書作家として知られる那須正幹さんの地元らしく、電停前の飲み屋にもゆかりのある場所としてズッコケ三人組のステッカーが貼られていました。駅前の広場はズッコケ三人組にも出てくるゆかりの百貨店跡地だとか。昭和生まれながら平成に小学生だった自分にとって、ズッコケ三人組は図書室でワクワク読んだ児童書でしたから、少し楽しめました。
時間通りに岩国行きが来たので乗り込みました。
が、通勤時間はもう過ぎ去っているはずなのに、車内は超満員で、入り込むのも大変な状況でした。
何かと思ったら車内は外人だらけでした。しかも、各地の観光地でよく見る東アジアの人ではなく、欧米人ばかりでした。
超満員の外人は、全員!(ホントに全員)が宮島口駅で降りていき、そこから先は、日本人が十数人残っただけでした。世界遺産の広島の街と宮島をハシゴしている訪日外国人が多いようです。
通路向かいに座っていた女性二人組が、この光景を見て「スゴイね」と話していたのが印象的でした。普段着の軽装だったので、地元民だと思うのですが、そんな人たちですら驚くほどの激混みでした。
※熊本や福岡は欧米人をほとんど見かけず、外国語を話す人たちは東アジア人ばかりでした。一方、広島は欧米人ばかりでした。世界の人々は世界のHIROSHIMAを目指すとは聞いていたものの、現地に来たら、欧米人の認知度が高いことを実感することになりました。こういうことは、やはり現地に来ないと分かりません。
広島発着の国際線は現在アジアばかりですが、福岡よりも欧米線飛ばす需要がありそうな気がしました。東京や大阪辺りから入って、新幹線などで広島入りする人が多いのでしょうか。何とも残念な限りですね。
■岩国ではアクセスバスなし
宮島口を出たら、岩国まではあっという間でした。
岩国駅からは、空港アクセスバスも、近くまで行く路線バスもダイヤが合わず、駅から空港まで歩きました。2キロほどなので30分といったところでしょうか。同じ電車に乗っていた大きなガラガラを引きずっていた女性も徒歩でアクセスしていたようでした。
小一時間待てばアクセスバスの時間なのですが、歩いた方が早く着けました。
が、既に館内は搭乗待ちの人でごった返していました。駅チカ空港ですが、車で来る人が多いようでした。
有料の展望デッキだけは誰もいなかったので早めに調査を済ませられましたが、結局本格的な調査ができたのは、出発客の波が引けてから。客が引けるまでに時間が余ったので昼食も済ませました。結局、到着客を乗せるアクセスバスには間に合わず、帰りも歩きとなりました。
■小倉乗り継ぎは全く考慮なし
広島からの岩国到着は予定より20分ほど遅かったですが、岩国駅には予定通り12時半には戻れました。
ここからは一気に下関へ。下関、小倉、折尾、博多と乗り継ぎ、福岡空港へ向かいました。
小倉では、乗り継ぎ検索では小一時間後の快速に乗れば博多に先着と出たのですが、それより早く区間快速が来たため、それに乗り込みました。が、これがかなりの鈍足で、折尾で快速に追い抜かれることになったので、結局、折尾で後続の快速に乗り換えました。
※岩国〜下関間は日中1時間に1便なので、乗り遅れは厳禁区間でした。ただ、乗ってしまえば長区間乗りっぱなし。平日の昼間で利用者もそこまで多くなく、快適な乗車ができました。さらに、JR西日本からJR九州に乗り換える下関の接続は、いつもならここが最大のネックとなるのに、今日はわずか3分接続と非常にスムーズでした。
ところが、今回は九州に入ってから先があまりよろしくありませんでした。
JR九州同士の小倉で、いきなり、快速にわずか2分差で間に合いませんでした。このため、博多に着いたのは、小倉で2分差で乗れなかった便より小一時間遅れて18時19分になってしまいました。すると、今度は国際線行きの最終バス(博多バスターミナル18時25分発)にタッチの差で間に合いませんでした。今回は事前にダイヤを確認していたので、初めから博多バスターミナルには行かず、国際線に行くのは諦めましたが、なんだか残念な乗り継ぎでした。
鹿児島本線って、東海道、山陽道から繋がる日本の大動脈です。10分間隔で走るとかならまだしも、実質1時間に1便程度しか使えないのだから、接続はしっかり考慮してほしいところ。スイスとかだったら、同じ1時間間隔でもきっちり接続させています。
最近、複数の交通機関を連携させるMaaSが流行りです。しかし、日本の場合、ただ寄せ集めて予約購入できるようにしただけ。いくらスマホで最適なルートを検索できると言っても、現実の接続が悪ければただの宝の持ち腐れです。熊本空港の肥後大津の無料バスもそうですが、ダイヤ連携ができなさ過ぎ。新線整備するする詐欺やマースマースと叫ぶ前に、まずはこういう現場の接続の改善をしてほしいところですね。
福岡空港では、展望デッキから国際線を眺め、新しくなった北側のカーブサイドや北乗降場などを見てから搭乗しました。
帰りの飛行機は通路側だったこともあり爆睡。帰りの電車も寝ぼけ眼をこすりこすりの帰宅となりました。
■今日の教訓!
・広島は観光客少し違う←欧米人多く、案内人も日の出から対応。
・吉島飛行場跡地範囲は分かりやすい←境目に段差あり。
・吉島飛行場跡地中身は分かりにくい←完全に街化しています。
・[広島西]まだ痕跡あり←もうすぐ再開発でなくなります。
・[岩国]アクセスバス少ない←徒歩だと30分強かかります。
・[福岡]vs[熊本]店舗配置に要注意←福岡は飛行機に乗らなくても楽しめます。
■実際の旅程
03/13 THU
広 島市内05:30(徒 歩)→05:40新 井 口駅
新 井 口駅05:53(JR西日本 山陽本線)→06:06広 島 駅
広 島 駅06:20(シェアサイクル)→06:40[NHK広島ヘリポート]
[NHK広島ヘリポート]07:00(シェアサイクル)→07:20吉島飛行場跡地
吉島飛行場跡地07:40(シェアサイクル)→08:00[広島ヘリポート]
[広島ヘリポート]08:45(シェアサイクル)→09:05西 広 島駅
西 広 島駅09:24(JR西日本 山陽本線)→10:05岩 国 駅
岩 国 駅10:05(徒 歩)→10:40[岩国飛行場]
[岩国飛行場]12:00(徒 歩)→12:30岩 国 駅
岩 国 駅12:44(JR西日本 山陽本線)→16:13下 関 駅
下 関 駅16:16(JR九州 山陽本線/鹿児島本線)→16:29小 倉 駅
小 倉 駅16:57(JR九州 鹿児島本線区間快速)→17:28折 尾 駅
折 尾 駅17:33(JR九州 鹿児島本線快速)→18:23博 多 駅
博 多 駅18:27(福岡市地下鉄 空港線)→18:32[福岡空港]
[福岡空港]20:05(SKY026便)→21:40[東京国際空港]
[東京国際空港]22:00(京急線)→22:30横 浜 駅
横 浜 駅22:30(自転車)→23:00自 宅
2025年03月13日
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