沖縄本土復帰50周年を空港から振り返る5月15日、1972年の沖縄の本土復帰50周年となりました。
沖縄県には13空港があります。50周年を機に沖縄の空港を振り返ります。本当は、「さあ、本土の空港からパスポート無しでも海外気分で沖縄へ」などと、もっと大々的に特集を組みたかったのですが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)感染の状況から、渡航を積極的に勧めることは避けることにしました。
空港がある一部の離島では、医療体制の脆弱性などを理由に不要不急の渡航の自粛を要請しているところもあります。
早く経済を回したい気持ちと、感染を広げない気持ちのせめぎあいでした。事情お察しいただけると幸いです。
(正直私自身沖縄禁断症状がもう限界に近いんですけど、、、)沖縄の空港事情は、戦後70年や戦後75年でも特集しています。まずはそちらから。
◇戦後75年特集 終戦から三四半世紀、戦争を空港から考える(石垣・新石垣、与那国を取り上げています)
https://johokotu.seesaa.net/article/476735706.html◇戦後75年特集 沖縄戦停止三四半世紀、沖縄と空港を考える
https://johokotu.seesaa.net/article/475875218.html■戦後70年特集 戦争と空港を考える(伊江島、宮古を取り上げています)
https://johokotu.seesaa.net/article/423956544.html
続いて、各空港を紹介します。詳しくは各空港概要のページをご覧ください。
沖縄復帰と言えば、よく話題に上るのがパスポートの必要だった沖縄。
復帰前、パスポートを持って渡航した記憶のある年配の方も多いのではないでしょうか。
2022年は新型コロナウイルス感染症の影響で、気軽に海外旅行に行けない日々がまだまだ続いています。沖縄復帰50周年は、沖縄渡航で半世紀を超えた海外旅行気分を再び味わってみませんか。
戦前・戦中からある空港■
伊江島空港 https://johokotu.seesaa.net/article/141559464.html 戦争中の1944年に旧陸軍飛行場として開場。終戦「”前”」から、沖縄を占領した米軍によって拡張された空港です。
隣接する補助飛行場は、終戦直後に降伏調印使節団がマニラに行く際に経由したことで知られています。
戦後に民間空港化したのは、1975年に復帰記念事業として開催された沖縄国際海洋博覧会の関連事業として行われたもの。
そして、戦後70年特集でも書きましたが、現在も、米軍による非常に厳しい運用制限がある珍しい空港です。
沖縄の空港の中でも、沖縄の本土復帰ともっとも深く関わっている空港と言えます。
1977年には定期便が運休しており、沖縄の本土復帰の頃の雰囲気が色濃く残っている空港です。
※2022年5月15日現在定期便運航なし
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那覇空港 https://johokotu.seesaa.net/category/7345679-1.html 沖縄最大の空港です。
この空港は、1933年に旧海軍飛行場として開場。戦争〜占領期〜復帰後の沖縄を丸々超えた空港です。
復帰の5年前1967年に設立された沖縄の翼日本トランスオーシャン航空(当時の南西航空)が拠点としています。
那覇空港のターミナルは平成年代に建設されたもの。このため、復帰の頃の面影はほとんどありませんが、那覇の玄関である先原崎灯台跡に米軍の標識塔が建っているのが見えるなど、沖縄占領と復帰を感じられるものがあります。
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宮古空港 https://johokotu.seesaa.net/category/7345687-1.html 1943年に旧海軍飛行場として開場した空港です。
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与那国空港 https://johokotu.seesaa.net/category/7345693-1.html 1943年に旧日本軍飛行場として開場した空港です。
沖縄本土復帰前に出来た空港■
久米島空港 https://johokotu.seesaa.net/category/7345684-1.html 1963年、米国民政府援助資金により建設された空港です。
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北大東空港 https://johokotu.seesaa.net/category/7345685-1.html 1971年、米国民政府援助資金により緊急着陸飛行場として建設された空港。沖縄復帰後の1978年に供用開始されています。
沖縄本土復帰後に出来た空港■
粟国空港 https://johokotu.seesaa.net/category/27656510-1.html 沖縄本土復帰後の1978年開港の空港です。
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慶良間空港 https://johokotu.seesaa.net/article/141362010.html 沖縄本土復帰後の1982年開港の空港です。
※2022年5月15日現在定期便運航なし
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南大東空港 https://johokotu.seesaa.net/category/7345686-1.html 沖縄本土復帰後の1997年開港の空港です。
南大東空港は、旧空港が南大東島中心部にありました。旧空港は、1934年に海軍飛行場として開場しており、戦争〜占領期〜返還を見続けてきた空港です。
旧空港で民間空港としての運用は、1963年に滑走路が整備され始まっています。1968年には1200メートル化したため、戦後日本の翼の象徴YS-11も就航していましたが、沖縄本土復帰後は800メートル運用に短縮されています。
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下地島空港 https://johokotu.seesaa.net/category/27185434-1.html 琉球政府時代に誘致され、沖縄本土復帰後の1979年に開港した元ジェット機訓練用飛行場です。
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多良間空港 https://johokotu.seesaa.net/category/7345689-1.html 沖縄本土復帰後の2003年開港の空港です。
多良間空港は、旧空港が多良間島東方にありました。旧空港は、1971年に、米国民政府援助資金により緊急着陸飛行場として建設された空港でした。
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新石垣空港 https://johokotu.seesaa.net/category/7345691-1.html 沖縄本土復帰後の2013年開港の空港です。
石垣空港は、旧空港が石垣島南方にありました。旧空港は、1943年に海軍飛行場として開場した空港でした。旧空港跡地は、市役所や市消防本部、県立八重山病院などの整備に活用されています。
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波照間空港 https://johokotu.seesaa.net/article/177473461.html 沖縄本土復帰後の1976年開港の空港です。
波照間空港は、旧空港(緊急着陸用飛行場)が波照間島最南端(=一般日本人が気軽に行ける日本最南端)付近にありました。旧空港は、1972年の復帰直前に、米国民政府援助資金により緊急着陸用飛行場として建設された飛行場でした。
※2022年5月15日現在定期便運航なし。沖縄本土復帰50周年を前に、定期チャーター便の再開が準備されてきましたが、就航延期になってしまっています。
こうやって見てみると、沖縄の空港のうち、北大東、多良間、波照間は、本土復帰を意識してインフラ整備されていたことが分かります。
また、リゾートターミナルでここ数年注目を集める下地島も琉球政府が誘致したもの。空港と本土復帰は意外と深い関係がありました。
沖縄の本土復帰50周年は、各島の玄関口として世界と繋がる空港から感じることができるかもしれませんね。
posted by johokotu at 03:00| 東京 ☀|
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■沖縄地方(伊江島・慶良間・その他)
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